[日記・コラム・つぶやき]
諸葛孔明も実践していた
英雄ブランディング
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諸葛孔明は言わずと知れた、三国志中の名軍師。
その存在を疑う説もある。また、数人の優れた賢人の逸話が、「諸葛孔明」という架空のキャラクターとして一つになったという説もあり、いまもってどの説を信じて良いのか分からない。
が!
そんなことはどうでも良い。
英雄ブランディングは、例えば、漫画の主人公に関しても実践できるセルフブランディングの方法であるから、実在していなくても良いのである。
要は、「その人物に、心底、憧れきり、実直に、模倣し、その人物の本質を自己の体内に捉えきり、それを止揚して、オリジナルな資質・才能・アイデア・性格を創造すること」が目的である。架空だろうと、実在だろうと、自分の教材になれば良い。歴史事実の詮索は、歴史学の諸先生方にお任せしておけば良い。
さて、「成功者はみな、例外なく、英雄ブランディングを実践していた!」というのが私の持論であり、英雄ブランディングというメソッドの初歩中の初歩なのだが、この有名な軍師・諸葛孔明においても、この持論を確認することができたので、紹介しておこう。
彼が襄陽という城市(まち)に住んでいた頃、おそらく、15歳前後の少年時代、数人の名士から学問を習っていた。ホウ徳、司馬キ、黄承彦(コウショウゲン)といった知名の士である。隋代に入って制令化した科挙のような任官制度は、三国志の頃はまだ無かったから、学問をして名を挙げることが任官の唯一の道である。
「どこそこの某は兵法に詳しいらしい。神童と言われていたらしい・・・」
などと噂が立てば、しめたもの。豪族や地方執政官が、「ぜひ、わが幕下に加わって欲しい」などと、使者を立ててくる。
さて、少年の諸葛孔明も、いずれは天下の王となる人物の軍師・宰相になりたい、と野心を燃やしていた。だから、お師匠さんたちの薦めなら誰でも会いに行った。
その中に、ホウ玖(キュウ)という隠士がいた。霊山に住まう世捨て人である。しかし、「六韜三略」をそらんじることができるという博学の人で、師匠の司馬キもかつて学んだことがあるという。
諸葛孔明は辞を低くして、教えを乞うたが、一年間、掃除や柴刈りしかさせてもらえなかった。がっかりして帰ろうと思ったが、あるエピソードを思い出して、忍耐を決意した。その結果、一年後のある日、三冊の書物を授かった。百日の間、その三冊を読みふけって、ボロボロになるほど研究に没頭した。ホウ玖が百日目にテストしてみると、その書物の内容に独自の考え方を加えた孔明の学識に舌を巻いたという。ホウ玖に別れを告げ、霊山を降りてから、孔明の威名は州一帯に轟いた。親友のホウ統とともに、「鳳雛」「臥龍」と並び称されるようになった。臥龍・諸葛孔明の噂を聞きつけた劉備が彼の草庵を三度訪ねた話は有名である。
さて、彼がホウ玖のもとを訪ねたとき、思い出したエピソードとは?
彼が生きていた時代を遡ること400年前。秦を倒して漢を建国した劉邦。その彼を補佐して建国の功労あった人のなかで特に有名なのは三名。
内治を監督することに優れていた蕭何(ショウカ)。
軍隊を指揮することに優れていた韓信(カンシン)。
政・戦略を立案することに優れていた張良(チョウリョウ)。
その張良が若い頃、小川にかかる橋を歩いていると老人とすれちがった。老人に道を譲ろうと立ち止まって頭を下げた。すると老人は足を跳ね上げて沓を川に落として、彼に向かって言った。
「オイ、若いの! ワシの沓を取ってこい!!」
張良はカチンと来たが、言われたとおりに取ってきた。
「よし、じゃぁ、履かせろ!」
さらにカチンと来たが、言われたとおりに履かせた。
「おまえは見所がある。良いことを教えてやるから五日後の明け方に来い」
五日後の明け方、来てみると、もう老人が来ていた。
「老人を待たせるとは! 五日後の明け方に出直してこい!」
その五日後、今度は夜中のうちに約束の場所で待っていた。すると、明け方になって老人がやってきた。
「よしよし。おまえにこの書を授けよう。これを読めば王者の師となれるであろう」
そう言うと姿を消した。その時、張良が授かった書物は「太公兵法」。殷を倒し、周の建国を支えた太公望呂尚が書き記したとされている幻の兵法書である。
このエピソードは司馬遷の「史記」に書いてある。諸葛孔明も当然、読んでいただろう。
賢人の誉れ高い老人から物事を教わる時は、どんなに腹の立つことがあっても辛抱するのがよい。想像以上のご褒美が返ってくるということは、張良の例で分かる。
孔明が思い出したのはこのエピソードである。
中国史上最大の帝国建国に功績のあった張良とそっくりのエピソードを持つ諸葛孔明。
諸葛孔明という人物を創作した文学者のこじつけか、それとも、実在した諸葛孔明本人による真実の挿話か。
それを問う必要はない。
なぜなら、「成功者は成功者を真似る」という普遍の法則性が確認できるからである。
孔明はまさしく、英雄ブランディングの実践者として実績を残した賢人である。
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成功への願望・野心というものは、金額などの数値で描ききれるものではない。もちろん、ある程度の指標にはなるだろう。現在地を確認する目盛り程度の役割は果たす。 しかし、「夢」は数値ではない。イメージである。 絵画的、もしくは、動画的なイメージ。生々しい音や匂いや触感をともなうイメージとして描けるものでないといけない。ビビッドな映像として脳裏に描けないものは夢ではない。目標でもない。ただの記号の羅列である。 「事業計画書の書き方」といったたぐいの本がたくさん出ているが、そのいずれも、イメージの描き方を教えてくれない。 「ギャップ分析」だの、「コアコンピタンス」だの、「社会的なニーズの所在」だのと、事業計画書の目次を構成する単語に関する説明は十分になされているが、「夢の描き方」については言及しない。 それもそのはずである。 夢の描き方など人から教わるものではない。ましてや本で教わるものではない。 要は、「憧れる」というわずか三文字の言葉が包含するダイナミックな概念体系が身に付いているかどうかである。 「あなたの人生のモチーフはだれ(なに)ですか?」 と問われて、具体的な挿話も交えて、その場で活き活きと表現できるかどうかである。相手に、「なるほど、ああいう人物になりたいのか!」と、絵画的・映像的なイメージを描いてもらえなくてはならない。 事業計画書を何度書いても理解してもらえない。銀行に事業を説明しても否定されるばかり。協力者から資金を引き揚げられてしまう・・・。 実は、「事業の計画を具体的な数値を上げて説明すること」そのものにはあまり大した意味はない。 その数値を裏打ちする、「明確で強烈な事業意欲とイメージ」を相手に伝えることができれば、プレゼンテーションは成功するのである。 |
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