阪本啓一先生との出逢いから(4)
「つながっている感」がマーケティングの基礎 Vol.3
[4:現代編]
阪本啓一先生との出逢いから(4)
「つながっている感」がマーケティングの基礎 Vol.3
[4:現代編]
5.つながっている感は、知性・感性・身体性に宿る。
経営者をはじめマーケティングの実行者は、紙テープの両端をにぎる人の「知性・感性・身体性」に精通していないといけない。
ここでいう「知性」「感性」とは、言葉を使う能力のことである。何も特殊な知識がたくさんあるということではない。面識のない相手に「そんなことも知らないの?」と揶揄するような感覚は、知的ではないし、人の感性というものに鈍感だ。
この「言葉を使う能力」の大切さを阪本先生も強調なさっている。くだんの「カオナシ」の例もその一つだ。
インターネットコミュニケーションが発達したここ数年、言葉を使う能力を持たない人がとても増えた。というのも、インターネット以前は、人に考えを伝える手段は手紙とかFAXだった。コンピュータはすでにあるが、基本的には、紙面(もしくは紙面を想定したパソコン画面)に「書かれた文章」で、コミュニケーションを取っていた。言葉を大切にしない人は、そもそも手紙など書かなかったし、書き言葉の訓練からは遠ざかっていた。
しかし、メール、メルマガ、ブログといったインターネットツールが一般化すると、手紙を書かなかった人でも、文章のコミュニケーションを取るようになる。その代表例が、2ちゃんねるなどでよく見られる、記号を組み合わせた文字であったり、半角カタカナ文字であったり、漢字の当て字だ。当て字など、一昔前は、暴走族の落書きにしか見られなかったが、今では、会社と家庭に、パソコンがあるところならどこにでも、広がっている。結果、言葉の知性・感性を持たない人が急激に増えたような錯覚を覚えるのだ。
そして、「身体性」。
阪本先生は徹底した現場主義だそうだ。体を動かして、実際に自分の目で見て、視座を高くしたり、低くしたり、視野を広げたり、狭めたりしながら、観察されるそうだ。手足を動かす匠(職人)の経験知や、ミュージシャン矢沢永吉の作品づくりに対する取り組みかたから、マーケターに必須の身体性を感じ取るとおっしゃっている。
マーケティングを学問体系としてではなく、日常の生活習慣に取り込んで理解なさっている。だから、どの著書を読んでも、「知識の押し売り感」がない。楽しく、ワクワク、ページをめくることができる。それは、阪本先生自身が体を動かすことを重んじていることの証しである。
阪本先生の身体性を証明する、こんなエピソードもある。
先日、阪本先生とレストランでお話をしていた。その経緯は後述するが、とにかく、ビールとチョリソで、会話していた。ふと、目線を上げると、巨大なスズメバチが二人の間を飛んでいる。「ふぃぃぃぃぃぃ~ん」と不気味な羽音を立てている。すると、そいつが顔に向かって来そうな気配を見せた。私は逃げようとして、とっさにイスを引いた。しかし、イスの脚が地面にひっかかって引けない。まるで、ふざけている小学生みたいに、そのまま後ろにひっくり返ってしまった。すると、阪本先生がササッと素早く席を立ち、左目ではスズメバチの動きを察知しながら、右目で私の顔を確認し、右手ですかさず私の後頭部を包んでくれた。その間、1秒もない。まさに刹那のできごとだ。お陰で、私は地面に後頭部を打ち付けずに済んだ。
あの時の先生の動きを頭の中で何度反芻しても、真似ができない。まるで、「マトリックス」のキアヌ・リーブスのような動きだった(いや、大袈裟に言っているのではなく・・・)。もしあれが逆の立場だったら、私は、後頭部を打ち付けてうずくまる阪本先生を見ながら呆然としていたかも知れない。(もっとも、阪本先生なら最初からひっくり返るようなドジはなさらないだろうが。笑)
言葉を駆使する「知性」と「感性」(語学ができるとか、言語学に詳しいという意味ではない)。
そして、実際に体を動かして何ごとかを察知、体得する「身体性」。
この「陸地感覚」ともいうべき三要素が、「つながっている感」の中身だと思う。
6.つながっている感を広める、そして深める。
マーケティングは「森羅万象がすべてつながっている感覚」を土台にして実践すべきテーマだ。
阪本先生はその著書の至るところで、「ビジネスマンは文学や芸術にも触れよ!」とおっしゃっている。
確かに、文学や芸術に触れずとも、例えば、いまのセレブたちを見れば分かるように、「富」という名の港にたどり着くことはできるだろう。ただ、それだけだ。感謝や尊敬といった有機的な暖かい感情とは無縁の一生を終えるだけのことだ。
その証拠に、セレブ紹介番組や有名なIT社長のニュースなどを観ていると、まるで「珍しい動物」を扱っているようなニュアンスをその番組に感じることがある。私だけだろうか?
あれは番組製作者の意図なのか、それとも世間の本音が番組づくりに反映したものなのか定かではないが、「小馬鹿にした雰囲気」を感じるのだ。まともな感覚を持ったセレブなら、自分の出演した番組を観て、「ん? なんか馬鹿にされているな~」と感じるに違いない。どこか、「尊敬」とは真逆の「面白がっている雰囲気」が確かにある。もしかしたら、それは、「ねたみ」が変質したものなのかも知れない。
いずれにしても、世間というものは本能的に、「富だけを追求する人に尊敬の念を抱けない」ものである。
それは歴史が見事に証明してくれている。
7.「森羅万象はつながっている」。
そのことを、和宗総本山・四天王寺の管長、瀧藤尊教氏も言っていた。(ちなみに、瀧藤先生は、私が高校在学当時の理事長であった)
「人と人との和、人とものとの和、ものとものとの和を大切にせよ」、と。
物事を見わたす水平視野を身につけよ、と。
私は、これにつけ足したい。
この3つの和をワンセットとする大きな円盤があるとする。
この円盤が、あたかもジュークボックスのレコードのように、過去・現在・未来の3時代をスライドすると考えてみる。
そうすると、「つながっている感」がより深まる。
歴史に淘汰されることなく、創業者の死後も、何十年と命脈を保ち続ける企業がある。なかには、数百年の老舗ブランドもある。
そのような組織では、「水平視野」を重んじている。つながっている感が広い。それと同時に、歴史そのものを見わたす「垂直視野」も忘れない。つながっている感が広く、そして、深い。
マーケティングと歴史を「つなげ」て学ぶ意味は、そこにあるのだ。
次回予告:掲載日は未定ですが、「阪本啓一先生との初対面」について掲載予定です。
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