【第1章 憧れることの効用】
(1)憧れると頭が良くなる
>>> 8.初めて分かった! 「考える」の定義。
[1:理論編]
【第1章 憧れることの効用】
(1)憧れると頭が良くなる
>>> 8.初めて分かった! 「考える」の定義。
[1:理論編]
動物と人間の脳の働きの違いに注目することで、「頭の良い人間」の定義が明確になる。定義が明らかになれば、その方法もおのずと見つかるもの。すでに答えは提示した。この章のタイトルが示すとおり、「憧れると頭が良くなる」のだ。そして、この「憧れる」という動詞について正しい方法論を導き出すのが、英雄ブランディングの意義である。
さて、人間の脳の働き、とりわけ、火を支配したこと、道具を生み出したこと、そして、言葉を生み出したこと。この三つの働きについて述べてきた。そこで分かったのは、「人間は、時間・空間・関係(つながり)について、他の動物とは比べようもならないほど進歩的である」ということだ。この進歩性が、動物と人間とを区別する基準であり、人間が万物の霊長と言われるゆえんである。
以上のことを図解してみた。
動物は、「食べて生きること」そのものが生の目的である。そのために、それを阻害するものから身を守る能力が発達している。暗闇でも目が利き、何キロも離れた場所の物音を聞き分け、外敵の襲来を察知する感覚が研ぎ澄まされている。五感のみならず、六感までも総動員して情報を入手(入力)する。そして、すべて筋肉運動として出力される。生存本能を挟んで、入出力が直結しているというわけだ。
一方、人間はどうだろう?
人間は動物とは異なり、第六感が働く余地はきわめて少ない。ほとんどの人間は五感しか使えない。五感では感じ取れないものを感じ取るアンテナは動物に比べると貧弱である。だから、大自然のなかでは人間は動物のかっこうの餌になるのである。但し、人間が動物を支配することができる場合がある。それは、人間が組織集団を形成するときである。この図を見れば分かるように、人間は大脳新皮質の獲得と同時に、互助本能を獲得した。人間は第六感を研ぎ澄ます代わりに、人間同士が背中合わせになって助け合う仕組みを創造したのである。つまり、人間社会というものである。そして、この人間社会を大きくし質を高めるために、人間は「話す」「書く(描く)」「働く」という三つの方法を編み出した。動物が我が身と身近な仲間を守るための筋肉運動しかできないのに比べ、人間は道具を作ったり、建物を建てたり、できる。また、言葉や図画を駆使して概念というものを生産できる。もちろん、それらもすべて筋肉運動なのだが、その効果において動物よりもより多く、より長く、そして、より広範囲の仲間を助けることができる。「時間」と「空間」を大きく超えて、仲間と「関係」を結ぶことができるのである。
そのため、脳の中でも大脳新皮質はもっとも表面積が大きく作られており、人間が社会生活を営む上で重要な機能はほとんどこの大脳において処理される。大脳はしばしば「スーパーコンピュータ」と喩えられるが、重要なのは、「人間は複雑」ということではなく、「生存本能と互助本能のバランスを取りながら演算する」ということだ。チーターの足が速いのは生存本能を抑制しようとする働きがないからである。本能のままに筋肉を動かせるように作られている。一方、人間は動物に比べると愚鈍である。それは、生存本能と互助本能との間に、自他ともに納得のいくバランスを保とうとするからである。その「間(ま)」が人間の筋肉運動の鈍さにつながっている。
しかし、それが「考える」ということである。
ここで思い起こされる有名な言葉がある。人間と社会に関する研究がさかんに行われたルネサンス時代、徴税官を父にもつフランスの天才数学者が書いた言葉である。
「人間はひとくきの葦にすぎぬ。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である」
パスカルは、『パンセ』のなかでこうも言っている。
「人間の尊厳のすべては、考えることのなかにある」
「考えが、人間の偉大さをつくる」
「すべての人間は幸福を求めている。これには例外がない。その手段がいかに異なっていようとも、みなこの目的に向かっている。意志は、この目的に向かってでなければ、一歩も前へ進まない。これはあらゆる人間の、みずから首をくくろうとする人に致るまでの、あらゆる行為の動機である」
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、「人間は社会的動物である」と言った。ラッセルは「人間は半ば社会的、半ば孤独な存在だ」と言い、デカルトは「心を持った機械だ」と言った。「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と言う人があるかと思えば、「ホモ・ファベル(作る人)」と言う人あり。「生産する動物」とも言われ、「道具を使う動物」とも言われる。一般には(学問的には)、「霊長目ヒト科に属するホ乳類、ホモ・サピエンス(知恵ある人)」と言われる。
表現は様々だが、先賢もみな、「考える」ということに重きを置いたのである。上図で、そのことがお分かり頂けたものと思う。
ところで、自分がどんな人間か、過不足なく他人に理解してもらうことが、幸福感の最たるものである。(と、少なくとも私は考える。お金を幸福の中心に据えることが如何に馬鹿らしいか、私と同年代のIT社長が見事に実証してくれたことは、とても有り難いことだ!)
そのためには、「人間とは何か。考えるとは何か。いま自分は何を考えたのか。それゆえこのような筋肉運動を起こしたのだ」という関係性を象徴する「何か」を話すか、書く(描く)か、体現せねばならない。それが、行為とか行動の本質である。
陽明学では行動を尊ぶ。しかし、考えもせずに行動に突っ走ることを「浅履」と言ってたしなめる。真(まこと)の実践とは、「しっかり考え、行動する」ということである。きわめて当たり前のことだが・・・。
そして、繰り返しになるが、「考える」という行為には人間だけに与えられた気の遠くなるような仕組みが眠っているのである。この天与の能力を駆使することが、人間が生きるということであり、生活の根本である。
さて、次回からは「考えることを上手にできる人」、つまり「賢い人・幸せな人」の定義を解き明かしてみたいと思う。そこから、マーケティングの基礎も見えてくるし、成功哲学に関しても深い理解が得られるはずだ。そして、何よりも、「正しく憧れるだけで成功できる」という仕組みの初歩が理解できるはずである。
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