歴史から学ぶ[プライベートブランド]の作り方

英雄・偉人のブランディング秘策

例えば、坂本龍馬のような事業家になれる方法?!


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【第1章 憧れることの効用】
(1)憧れると頭が良くなる
 >>> 10.憧れると頭が良くなる
                   [1:理論編]

 「憧れの人物は?」

 これまで機会があれば会う人会う人にこの質問をしてきた。その答えには大別して3つのパターンがあることに気づいた。

A:矢田亜希子! だって同性からも異性からも好かれてる。とにかくステキだと思うわ!

B:やっぱりイチローかなぁ~。同じ年であんだけの活躍できてあの年収!! 男なら憧れるでしょう?

C:事業家なら坂本龍馬。世間では彼の自由奔放な発想が良いとか言うけど、僕は、あの「物事を大掴みする感性」は経営者には必要だと思うね。

 これまで、人間というものについて、頭が良いということについて、きわめて偏見的な私見を展開してきた。我ながら理屈っぽい理論だと思う。しかし、それもこれも、「憧れる」という概念の誤解を解きたいためだ。

 私が定義している「憧れ」とは想念ではない。行動である。「憧れる」とは、「憧れの念を抱く」という意味ではなく、「憧れを行動化する」という意味であると考えている。例えば、上記の答えのうちAとBは「憧れ」ではない。Aは「羨望」であり、Bは「諦観を含んだ軽い嫉妬」である。

 A,BとCの違いを具体的に見てみよう。

 Aと答えた人は、外見と知名度を羨んでいるだけである。子どもがアニメヒーローに夢中になる感覚とさほど変わらない。無邪気である。Bはネガティブである。言下に、「ワタシは不遇だ。イチローは恵まれている」といった拗(す)ねがある。大人になって色んな事柄を学んでいくと無邪気さが無くなっていく。「どうせワタシにはできないに違いない。原因はワタシの外にあったに違いない。ワタシは悪くない。運が悪かっただけだ」と思いこむのである。こういう心を「陰妬」と言う。

 一方、Cの答えは、A,Bと大きく異なる。

 それは、坂本龍馬という人物の通俗的イメージではなく、人間的特徴に関して独自の視点を持っているということだ。「坂本龍馬は、物事を大掴みする感性を持っていた」と判断する根拠を持っているということである。さらに、「その感性が経営者には欠かせない」と判断していることも重要である。経営者の能力に関する自説を持っていることが分かる。

 このことから、Cの人は、「ワタシは経営者、もしくはそれを目指す人間であり、ワタシが理想とする経営者になるには、坂本龍馬のような感性を身につける必要がある」と考えていることが想像できる。

 つまり、「ギャップを分析している」ということである。ギャップが認識できるということは、その差を埋める方法を知っているということである。方法は戦略とも言い換えることができる。行動はギャップの分析から始まるのである。

 ギャップ分析 → 戦略 → 行動

 さて、昨年、ある会社のオーナーに請われて社員さんを対象にしたセルフブランディング講習を実施させて頂いたときも、この質問をしてみた。オーナーさんを含めて10名。その時も、面白いことにこのパターンに分かれた。さらに、その人物の特徴をどこまで知っていいるかどうかを知るためにワークシートを作り、書き込んで貰った。

 その結果、オーナー以外の社員さんは、親や上司や女優などを憧れの人として掲げる傾向が強かった。またその特徴は、見た目や誰でも知っている業績などに終始していた。「優しい」「頭が良い」「キレイ」などといった一般的な特徴を箇条書き的に挙げるだけであった。

 一方、オーナーは、同業種の先輩を掲げ、深く交際していないと知り得ないような情報を事細かく網羅していた。そして、そのすべてについて自分との差を認識していた。だから、ワークシートには所狭しと文字が書いてあり、その人物のことを想像しながら一所懸命書いたことが一目瞭然だった。

 このことから、憧れるという概念を正しく理解し行動化する習慣のある人は、戦略について考えねばならない立場に立つ確率が高い、つまりリーダーとしての道を歩む傾向があるということが分かる。

 ポジティブシンキングと上昇志向が、リーダーシップの要件であることは誰でも了解済みのことであるが、実は「憧れる」ということがとても重要な価値観であることはあまり気づいていない。しかし、憧れるという概念一つで、リーダーの座にある人とそうでない人の違いは明確に出るのである。

 さて、憧れを正しく行動するためには一定の思考プロセスが必要である。

 ギャップを分析しなければならないのだから、「自分」というものに関する豊富な知識と感性が必要となるのは言うまでもない。交差点の理論から言えば、自分を知るためには、時間軸と社会軸、そしてそれが交わる点を中心とする円(他人との関わり)をよく理解するということである。つまり、

 ●歴史から学ぶ謙虚さ

 ●問題の原因を環境や他人に転嫁しない克己心

 ●未来を想像する楽観性

 ●情報源を差別しない節操なさ

 ●目に見えないものを忌避しない感性

 ●一時の気の迷いや私情に走らない冷静さ

 ●モノの仕組み、社会の仕組みに対する知的好奇心

 ●言葉遣いや言葉そのものに対する関心

 ●礼節感覚

 ●人間科学と哲学に対するニュートラルなポジション

 これらをバランス良く陶冶する思考習慣・行動習慣が常態化していることが必要となる。

 もう一度、この図を見て頂きたい。その上で、上記の項目を見て頂きたい。

human_brain

 「自己を知る」ことが正しい「憧れ」への入り口であるとすれば、「憧れる」ということは頭を良くする道そのものであるということが分かるのである。

 憧れるという行動はこの図が示す「頭の良さ」の条件をすべて備えていることが分かるだろう。

さかもと教授の【ポイント・コラム】

(一)
賢さの定義は、「人助け精神」「社会的空間認識能力」「時間への意志」「人間への関心」の4つの条件から成るのぢゃ!

(二)
人間は交差点の生き物なのぢゃ!

(三)
憧れることは、羨望や嫉妬とは大きく異なるぞ! 憧れるとは、手の届かない理想像を羨望と嫉妬の入り交じった感情でぼんやりと想像することではないぞ! 明確に、「自分とはここが違う。こうすれば私ももっと・・・」と追いつけ、追い越せのイメージ戦略を練ることぢゃ! もっと動的・攻撃的な思考スタイル・行動指針なのぢゃ!

(四)
憧れを正しく行動習慣化するということは、上記の4つの条件で挙げた性質を高めていくということぢゃ!

(五)
憧れると賢くなる! 古今東西の成功者を見てみい! みな楽観的でポジティブで、想像力が豊富じゃろう?それに第六感も優れておる。常人では見えないものが見えるという人もおるぞ。あのような賢さは、憧れることの習慣化によって得られるのぢゃ!

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(2)英雄は憧れる
漢の高祖・劉邦の場合
                   [2:実践編]

項羽と劉邦〈中〉 朱元璋を助けて、明(1368~1644年)の建国に尽くした李善長は、朱元璋の家臣になるおり、こう言ったとされる。

 「劉邦のごとくすれば、天下はあなたのものになる」

 中国史上最悪の皇帝として名高い始皇帝に対して、漢を建国した劉邦は今でも人気のある人物だ。東アジア人にとっては英雄の理想型であろう。

 彼の英雄性を示すエピソードはたくさんあるのだが、中には後世の人たちが意図的に作った挿話なども多く、物語を面白くするには好都合かも知れないが、英雄ブランディングの趣旨から考えると適切ではないものも多い。英雄偉人の戦略発想や人間性の特徴に光を当てることで、成功者の条件を浮かび上がらせ、それを自分流に翻訳することが英雄ブランディングの本旨である。そこから考えると、劉邦が我々に教えてくれる最大の教訓は、「憧れる力」についてである。

 ところで、劉邦の物語を読んだことのある方ならこのような印象を持ったことは無いだろうか?

 「ライバルの項羽を凌ぐ勢いがつけばつくほど魅力が無くなる人物」

 少なくとも私はそういう印象を持っている。その点、豊臣秀吉とそっくりである。権力を握れば握るほど英雄としての魅力が減っていくのである。一方、織田信長や始皇帝は権力を握れば握るほど魅力が増す。好奇心をそそられるポイントである。

 そういうわけで、劉邦の英雄性が最も輝いていた時期は、天下に志を持った時だろうと思う。逆に、その後天下人に近づくにつれて彼よりも、彼の家臣たちの魅力が増していく。それこそが劉邦が天下を取れたゆえんでもあるから、一概に、個人的魅力ひとつでは論じられないのだが・・・。

 彼が天下に志を持った時期をいつと定めるか、議論が分かれるところであろうが、私は始皇帝の行幸をわが目で見た時であろうと思う。

 咸陽で夫役についていた際、彼は行幸にでかける始皇帝の姿を見て、このように呟いた。

 「大丈夫当如此也」

 (大丈夫、まさにかくのごとくあるべきなり)

 「男たるもの、こうでなくてはいかんなぁ~」というほどの意味である。

 一方、項羽は始皇帝を見て、「彼可取而代也(彼、取って代わるべきなり):俺があいつに取って代わってやる!」と息巻いたとされる。この二つのエピソードは二人の英雄の性格をとらえたものとしてしばしば対照的に論じられる。信長・秀吉・家康の「ホトトギス」論とよく似ている。

 しかし、私は劉邦の呟きにこそ、彼の前半生の成功の秘訣を見ることができると思う。

 この呟きとその後の彼の生き方には、ブランディングの成功要件である「憧れ」が見事に含まれている。

 貧しい農家の次男坊として生まれた彼は、いつも街のゴロツキとつるんで酒を飲んだり、女をたぶらかしたり・・・。しかし、街の長老たちは決して彼らを疎ましく思っていたわけではない。いわゆる「侠の人」だったと言われている。侠とは、日ごろは働きもせずゴロゴロして時に悪事を働きもするが、基本的には弱者のために自分の腕っぷしを恃む無頼のことである。武侠などということもある。街からすれば必要悪なのだ。盗賊などから街を守ってくれたり、冠婚葬祭には仲間総出で働いてくれる。その代わり、タダ酒・タダ飯は許す。そういう集団の頭目、それが劉邦だった。

 彼が何歳の頃に始皇帝の姿を見て、「おとこ(漢)とはかくあるべし!」と思ったのかは定かではないが、この呟きと彼の武侠生活はシンクロする。

 彼は、始皇帝の姿を男の条件と信じ、つねにそれをイメージした。何をするのにも、理想的な男の偶像を右脳で描き、心を満たした。その夢想に浸っているとき、彼の心は完全にストレスから解き放たれた。ストレスフリーな心は、前頭葉から不可思議な空気を放出するという。「眉間に力がある」という言葉があるように、職も持たない劉邦の眉間には何故か不思議な力があったに違いない。ヨーガで言うところの「第7のチャクラ」が開いていたのだ。プロアスリートやアーティストが最高のパフォーマンスを行うとき、前頭葉に大きな反応が起こることは、脳科学的にも実証されていることだ。

 劉邦も右脳に焼き付いたイメージを毎日毎日何度も反芻し、完全に自分独自のイメージとして独占することに成功した。そして、イメージしたとおりの人物をあらゆる機会を通して演じていった。俳優のように意識的に演じたというよりも、自分も気づかない内に右脳のイメージによって体が動いていたという方が近いだろう。

 我々もそういったことは経験する。視覚的な見た目ではなく、雰囲気として見た目が良い人。なぜか分からないけど同性にも異性にもモテる人物。大したイケメンでもないのに、女が放っておかない人物・・・。そして、そういう人はたいてい人の上に立っている。リーダーの立場である。

 劉邦はその代表例なのだ。

 そうやって彼は仲間から信頼され、街から信頼されていった。知事の下で働く蕭何(しょうか)と曹参(そうしん)も、劉邦には一目置くようになった。

 そして、始皇帝が死に国が乱れ各地に群雄が割拠するようになると、彼の街・沛県でも知事の代わりに実力者を立てようという動きが出始める。その結果、蕭何(しょうか)と曹参(そうしん)の根回しによって劉邦がおしたてられた。

 その後は小説に載っている通りまさに快進撃である。項羽に攻め立てられ命からがら逃げるシーンも何度かあるが、劉邦の成功要因は、人心を掴んだとか、家臣に恵まれたという現象ではなく、彼の右脳力にあると私は確信している。

 「憧れ力」こそが成功の秘訣である。

●英雄偉人のブランディング秘策(メソッド) その二

英雄は憧れる。右脳に焼き付けた将来像に今の自分を鍛えさせる!

さかもと教授の
ポイントレッスン!

「憧れる」という言葉はとかく誤解を招きやすい。「ボンヤリと夢想する」というよりも、「積極的に右脳にイメージを焼き付ける!」というぐらいのアクティブ・ポジティブな概念ぢゃ。これが習慣化すると、自然と体が反応するのぢゃ。イチローが剛速球に反応できるのも、この右脳の力によるのぢゃ。彼は目でボールを追っているのではない。人間の目はそんなに早いものを追えるほどの機能は無いからのぉ。心眼というヤツじゃよ。心眼を作るには、右脳を鍛えるしかない。右脳を鍛えるには、心をストレスから解き放つしかないのぢゃ。だから、プロフェッショナル・一流と言われる人はみな楽天家なのぢゃ。名を残した英雄もみな、憧れ力を持った楽天家だったに違いないのぢゃ!!

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【第1章 憧れることの効用】
(2)憧れると心が美しくなる
 >>> 1.三つの心で人は生きる
                   [1:理論編]

  人間は複雑な生物である。cell

 その複雑さの正体は、前項で述べてきた「互助本能」である。人間同士互いに協力しあってコミュニティを守り、その結果、自分の生存本能を満たす。これを「目的の二元化・交差化」と呼んだ。

  しかし、この互助本能こそが、人間を他の動物よりも上位に位置づけているものである。これがなければ、人間もただのケモノである。

 さて、人間の脳は複雑だが、それ以上に複雑なのが心である。

 human_brain

 この図から導き出される当然の帰結として、人間が自己の生命を維持する動機は三つ考えられる。

 一つ目は、動物すべてが持っている本能。生存本能である。

 二つ目は、人間だけが持ち得た生存本能をより効果的に満たす本能。つまり、互助本能である。

 そして、三つ目である。

 三つ目はこの図には表出していない。

 二つ目の互助本能の裏面とも言うべき本能。つまり、復讐本能である。

 動物はきわめて原始的な方法でしか自己の個体を守ることができない。おのれの牙と爪しか自分を守る方法がない。一方、人間は火・道具・言葉によって社会を作り、その社会の仕組みによって社会そのものを守る。社会の一員である自己を守る。これが、人間だけが持っている文明文化というものであろう。

 しかし、その反面、動物にはない苦しみを背負ったとも言える。

 それは、「自己と他人を比べて嫉妬する心」である。

 他人を助けることで自分を守る「互助本能」は、コインの表でしかないのである。裏には、「報いられない不満」「他人からの施しを求める依存心」「他人の不幸を喜ぶ嫉妬心」がひそむ。

 動物は互助本能を持たないか、もしくは人間よりもより少なくしか持っていないため、他の種や個体を嫉妬するということがない。動物が自己の爪牙を使って他の個体を倒すのは、あくまでも自己防衛か食糧獲得活動である。非常にシンプルである。

 しかし、人間はいかに食べ物が足りていても、心が満たされない時には他人を殺すことがある。純粋な生存本能によらずして、自分以外の個体を傷つけるのは人間だけなのだ。

 皮肉なことに、互助本能という尊い仕組みは、その本能が満たされない時には、他人を破壊することを選択してしまうという危険性を孕んでいるのである。

 「心を美しくする」というテーマは、互助本能のこの二面性を解明することから始めたいと思う。

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 憧れ力養成ワークシート
 [実践編:英雄は憧れる]より

                       [3:修養編]

●英雄偉人のブランディング秘策(メソッド) その二

英雄は憧れる。右脳に焼き付けた将来像に今の自分を鍛えさせる!

英雄は憧れる[漢の高祖・劉邦の場合]で述べた英雄偉人の条件をワークシート化してみました。漢の高祖の例を参考に、英雄ブランディングを実践してみて下さい。

ワークシートの利用法はこちらのサンプル画像をご覧下さい。

 hbmwsvol

 「hbmwsvol.001].pdf」をダウンロード
 (ワークシートはこちらからダウンロード)

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(3)英雄はなりきる
小村寿太郎の場合[前編]
                   [2:実践編]

Jutaro_Komura   小村寿太郎は1855年に日向(宮崎県)で藩士の子として生まれた。明治維新は14歳のとき。藩の学校(振徳堂)で学んだ後、15歳で長崎を遊学し、次いで東京に出てきて大学南校(東京大学)に入学した。若い頃から秀才の呼び声高く、17歳のとき明治天皇の前で講義をしたこともある。20歳には文部省留学生としてハーバードに留学している。

 その後の彼の立身出世ぶりは年譜の通り。取りあえず、年譜を追ってみよう。

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西暦 年齢 出来事
1875~80 21~26 文部省第一回留学生に選ばれハーバード大で法律学を専攻。
1880 26 刑事局出仕
  ↓
大阪控訴裁判所判事
  ↓
大審院判事
1884 30 権少書記官
1888 34 翻訳局長
1893 39 清国臨時代理公使
1894 40 日清戦争
1895 41 閔妃暗殺事件

政務局長として朝鮮へ

1896 42 小村・ウェーバー協定
1896~98 42~44 外務次官に

西園寺公望・大隈重信・西徳二郎外務大臣の下で次官

1901 47 駐清公使

駐米・駐露公使・駐清公使

1901~05 47~51 第一次桂内閣の外務大臣
1902 48 日英同盟調印

男爵の爵位を授かる
1905 51 ポーツマス条約締結

全権として講和条約を締結

1905 51 第二次日英同盟を締結
1906 52 枢密顧問官・駐英大使
(伯爵の爵位を授かる)
1908~11 54~57 第二次桂内閣の外相に就任
1910 56 日韓併合
(侯爵に爵位を授かる)
1911 57 日米通商航海条約を改正し、関税自主権を回復
1911 57 死去



 こうやって年譜を追っていくと、順風満帆な官僚人生を歩んでいるように思える。時代の趨勢に歩を合わせるように着々と出世している。

 「さすが、神童とも呼ばれるほどの秀才はどこか違う!」

と、羨ましがるのはブランド戦略の初心者だ。人生の初心者でもある。心が幼いとも言えよう。

 人間生まれたときに他人と差があるのは、身体と環境だけである。それを活かす潜在力は等しく与えられている。ただ、それを発揮できるかできないかは、本人の「心と脳」次第である。

 略年的に偉人などの人生を辿っていって、「こんな人になれたらな~」。

 これは「憧れ」とは言わない。ただの羨望である。羨望は、自分の不遇を運命であると捉える「ご都合主義」を助長するだけである。

 羨望は、成功の正しい概念を探り当てる智恵のない潜在的貧者・左脳偏重思考者・比較評論学者の安閑の地である。

 成功は、自分が率先して周りに何かを与えることから始まる。自分以外の人・モノのせいにする精神は成功とはまったく正反対の作用である。

 では、小村寿太郎がなぜ出世できたのか?

 「頭が良かったから?」

 彼ほどの秀才ならあの当時、何人もいた。薩摩や長州などいわゆる倒幕を指揮した藩出身で藩閥を背景に明治政府の中でのし上がっていった秀才たちがウヨウヨいた時代である。藩閥の後ろ盾のない小村寿太郎の学才など、彼らの前では取るに足らない。

 「堂々とした風貌だった?」

 確かに写真では威厳がある。しかし、これは爵位を授かって以降のものだろう。風貌は環境によって変わる。彼が政界の元勲たちに認められていく前はもっと貧相な風貌だったに違いない。駐清公使のおりには欧米の公使たちから「ねずみ公使」とあだ名されるくらいである。ちなみに、小村の身長は156cm(一説では143cm)。池のめだか級である。成功に身長は関係ないようだ。

 答えは、「なりきるパワー」の強さである。「憧れ力」とも言い換えられる。

 憧れる力については、前回「英雄は憧れる。漢の高祖・劉邦の場合」でも紹介したが、小村寿太郎の憧れ力は劉邦のそれとは違い、より具体的・直接的である。

 劉邦は、右脳イメージを長い時間をかけて身体性に転換していった。任侠の親分の大度な雰囲気を纏うことで、中国史上最も有名な王朝の開祖となった。

 小村寿太郎の憧れ力は、そのスケールから言えば、劉邦には遠く及ばない。しかし、そのスピードと実践性の高さにおいて、我々後世の人間に示唆してくれるエッセンスは劉邦よりも多いと思う。

 さて、小村寿太郎の憧れ力とは? 彼は誰になりきったのか?

                               [後編]に続く・・・

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(3)英雄はなりきる
小村寿太郎の場合[後編]
                   [2:実践編]

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Jutaro_Komura

 「歴史に学ぶ」ということは、年譜を辿ることとは質を異にする。

 どのような価値観を持って、どのように行動を起こし、どのような成果を引き出したのか。その関係性を読み解くことが歴史を学ぶ醍醐味である。だから、学校で勉強した歴史科を歴史とは言わない。年表・年譜から知ることができるのは、その人物が遺した成果・結果のみである。

 また、いわゆる歴史オタク、もしくは歴史ファンタジー・オタクの歴史観とも異なる。彼らは、歴史上の登場人物が好きなのである。英雄偉人に関してあれこれ夢想するのが好きなのだ。

 英雄ブランディングは、まず世界一大好きなのは「自分」というスタンスだ。「社会に有用な存在になりたい」と志を抱くのは、あくまで自分である。自分を活かし伸ばす、そのために、「自分を活かし伸ばすことに成功した英雄偉人」から学ぶというスタンスである。

 ①自分 ②英雄偉人 の順番である。いわゆる歴史オタクと異なるのはこの順番である。

 さて、英雄偉人の価値観行動を知るには、広範なアンテナが必要となる。その時代の様相についても関心を向けないといけないし、同時代を生きた人々の習慣や考え方についても耳目を傾ける必要がある。また、作家などが膨大な資料をもとに想像力・創造力を発揮して遺した小説の類も重視する必要がある。

 歴史事実として科学的に証明できる現象を追いかけるのは学者の仕事である。事業家・マーケターなど、「自己をブランドにして価値ある人生を創造したい」と志向する者にとっては、そのエピソードが歴史事実かどうかは問題にはならない。

 例えば、劉邦の小説を書いた司馬遼太郎は劉邦という人物を題材に英雄ブランディングを実践したのである。だから、あたかも劉邦を我が目で見たかのように描けるのである。虚実入り交じったわずかな歴史事実の断片をつなぎ合わせて、自己の精神と脳の中で止揚した結果、物語として顕在化するのである。

 著述家の潜在力(想像力と翻訳力の所産である創造力)が、英雄偉人の物語を顕在化するのである。歴史・伝統とはすべてそのようなメカニズムで語り継がれる。

 つまり、小説家の作品すら、我々にとっては英雄ブランディングの素材として役立つのである。

 だから、英雄ブランディングは、学者や歴史オタクを対象とはしていない。

 あくまで、ブランド戦略や事業設計を志向する人が対象である。自分と自分の人生を素材にして、何らかの価値を創り出し、社会に提供することを選んだ事業家のためのブランディング実践手法である。(ここでいう事業家とは、「法人経営者」という意味ではない。「社会に役立つ価値を創造提供する気概と企画を持った人」というほどの意味である)

 さて、小村寿太郎のブランディング戦略の中で特筆に値するのは、彼の「なりきり力」であると述べた。

 「なりきる」とは、「憧れの人物とシンクロして同化する」ことである。あたかも、その人であるかのように振る舞うことだ。少なくとも、精神的にそのように能動するということである。

 それを如実に表しているエピソードを司馬遼太郎『坂の上の雲』から引用してみよう。

4167105772

   

 小村寿太郎というのは日向(宮崎県)飫肥(おび)藩の出身で、この物語の主人公の一人である秋山好古よりも四歳上である。

 明治三年、藩の貢進生にえらばれて東京の大学南校に入り、法律を学んだ。

 小村が十七、十八のころ、東京の町にはちょうど後年のスターのブロマイドのようにして太政大臣や参議の写真が売られていた。政治家がスターの時代であった。小村はそのうちの参議大隈重信(おおくましげのぶ)のそれを買ってきて、寄宿舎の机の上にかざった。その写真の裏に、

 「謹呈小村寿太郎君 辱友大隈重信」

 と自分でかいた。サイン入りということであろう。もっともそのサインは小村の偽筆であったが。

 学友がおどろき、君は大隈重信と知り合いか、と問うと、小村は傲然と胸を張り、

 「むこうは知らんだろう。わが輩は知っている」

 といった。この時代、この小さな新興国家の書生たちの学問の目標がなんであったかがわかる。単純明快な立身出世主義であり、(正岡)子規もこの年齢のころにはそうであったように大臣参議になって一国の運営をすることであった。

『坂の上の雲』第二巻 P.32~33





 「憧れるなんて簡単な作業だ」と我々は考えている。

 とんでもない!

 憧れることほど難しいことはない!!!

 小村寿太郎のこのエピソードが示すほどになるには、よほどの志と自己愛がなくてはならない。自己愛といっても、「自分しか愛せない」という意味ではなく、「俺は、世の中に役立つ存在たらんとしている、この俺自身が好き!」という感覚である。

 一見、傲慢なようにも見える。自己を恃(たの)み、他を下に見るような姿勢が垣間見えることもある。

 このような人は、才能という概念に関しても独自的な考え方を持つ。気概・志・生き様のすべてを才能という言葉の中に放り込んでしまい、自発的な社会貢献精神を持たない他人を「無能」と批判する。

 しかし、どうだろう?

 「謙虚で柔和だが、社会貢献の志を持たない者」はやはり無能ではないか?

 豊富な知識技術を持っていても、それを使わなければ、能が無いのと同じである。

 能ある鷹は爪を隠すというが、爪を持っているから隠せるのであって、爪を持たない者は隠しようもない。しかし、外からは見えないから、隠しているようにも見える。それが、自己中心的な人の謙虚さの正体であろう。

 その点、小村寿太郎は社会的義務感を大量に持っていたという点で、きわめて有能な偉人である。また、おのれの爪を隠そうともしなかった。征韓論で荒れる当時の日本。欧米列強のアジア侵犯を心配し、おのれの志と行動こそが国の存亡に関わると覚悟していた若者の代表例であろう。下らぬメールの証拠うんぬんで無駄な時間を使っている現代政治など子どもの遊びのようだ。

 話を戻そう。

 同じく「坂の上の雲」から、彼の才能観を彷彿とさせるエピソードを二つ。



   

 明治十三年、小村は (中略) 司法省につとめた。ほどなく外務省に転じ同二十一年、三十四歳で翻訳局長になった。このころ、かれが書生のころブロマイドを買った大隈重信が、黒田内閣の外務大臣をしており、小村の上官であった。あるとき、大隈は自邸で盛大な晩餐会をひらき、元老、大臣、次官、局長といった大官連中を招待した。

 その席に、落語家の円朝が余興をやるためによばれ、酒席の末席に侍(はべ)った。正面には、枢密院議長の伊藤博文が座っている。伊藤が、

 「円朝、盃をやろう」

 と、左手をあげた。が、末席の円朝は身分を考えて恐縮し、ひとのかげにかくれ、頭を下げたまま前へ出ようとしない。そのとき小村が、

 「円朝、出るのだ。なにを遠慮する必要がある」

 と大声でいった。そこまではよかった。

 「この席に廟堂の大官がずらりと並んでいるが、このなかで当代もっとも偉いのは貴公ではないか。元老も大臣もいま死んだところであとに偉い後継者がひかえて(自分のことであろう)いるが、貴公に後継者があるか。ないだろう。だから円朝、堂々と前へ出ろ」

 といった。

『坂の上の雲』第二巻 P.34




   

 明治二十六年、外務省の官制が変わって、翻訳局が廃止された。小村は、当然廃官になるところだった。 (中略)

 当時、外務大臣は陸奥宗光(むつむねみつ)であった。外務省の翻訳官に過ぎなかった小村は、陸奥によって外交舞台にひき出された。

 両人は、もともと縁が薄かった。あるとき、陸奥宗光が司法大臣の芳川顕正(よしかわあきまさ)とともに新橋駅のプラットホームをあるいていると、小村は声高で笑い、

 「あれをみろ、ヘチマ(陸奥)とカボチャ(芳川)があるいてゆく。一はほそく一はまるし。しかしながら両方ともなかみがカラッポということで共通している」

 と言い、居ならぶ同僚たちに眉をひそめさせた。

 ある日、外相官邸で宴会があった。英国へ総領事として赴任する同僚を送別するための宴で、食後、たまたま英国の綿製品のはなしが出、話題が紡績論にまでおよんだ。

 ところがこの席上、小村が精緻そのものの英国綿業論を論じはじめたのである。年度別の原綿の産額、輸出入の消長、さらに各種綿製品の優劣まで論ずると、同僚たちは驚嘆した。小村にすれば5年間のひましごとのあいまに調べたことだが、同僚たちにとっては翻訳官がこれだけのことを知っているとはおもわなかったのである。当時、翻訳局長などは外交官とおもわれていなかった。陸奥もおどろき、

 「君はどうしてそんな小さなことまで知っている」

 ときくと、小村は、

 「小さなことだけではありませんよ。天下国家の大事についてもいささか抱負をもっております」

 と言うなり、この小男の癖で、はじけるような高笑いをあげた。

 陸奥は、異動人事をするにあたってそのことをおぼえていたのであろう。しかし、空席が北京(ペキン)にしかなかった。 (中略)

 「君をワシントンにやりたい。しかしいま空席がない。当座、北京にゆく気はないかね」

 (中略)

 「むしろ、北京のほうこそ望むところです」

 というと、陸奥は小村の遠慮かとおもい、

 「しばらくの辛抱だ。何年かののちにはワシントンに君を置くことを考慮する」

 「ご心配はありがたいですが」

 と、小村はいった。

 「そういう将来においてもあなたが外務大臣をつづけていらっしゃるという保証はございますまい」

 カミソリといわれた陸奥は、どういう場合でも鋭利きわまりない論理を用意していたが、このときばかりは沈黙せざるをえなかった。

『坂の上の雲』第二巻 P.35~37

 とにかく傲慢な人物だ。しかし、痛快である。この人物でなければ日露戦を収めることはできなかったろう。

 性格とは、生来のものではない。習慣が作っていくものだ。

 習慣は価値観と環境によって左右される。

 何の志も持たず、ただ毎日生きているだけで良いという人には、小村のような性格が宿るはずがない。そのような人は、性格だけでなく、ただ大人しく何を考えているか分からないような風貌が身に付く。

 英雄偉人と一口に言っても、それぞれ生きた時代も価値観も環境も違う。当然、性格もバラバラ。

 しかし、おのれが信じる道(事業)を一心に見つめて行動した、という点では共通している。

 小村寿太郎の「社会感覚」「自己愛」「才能観」「傲慢さ」・・・。

 道を歩む者の一つのスタイルとして、大いに学ぶべきところがある。

 人間、心から「なりきる」とその通りになる。

 偽筆サイン入りの大隈重信のブロマイドを持っていた頃から、彼の下で働くまで、約17年。そして、さらに道を進め志を実現するまで、約5年。

 人間、真に憧れ、なりきれば、20年で、本当にそうなれるようである。

 小村寿太郎は、なりきりの天才であった。



 

●英雄偉人のブランディング秘策(メソッド) その三

英雄はなりきる。「憧れる」とは、目指すこと、同化(なりきり)すること、超えること。

  

さかもと教授の
ポイントレッスン!

 憧れ力・なりきり力は、「この私が社会を変えるのだ」という強い社会愛・自己愛の総合性ゆえに発現する神秘の力なのぢゃ!

 技能ではなく、心の作用ぢゃ!

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