歴史から学ぶ[プライベートブランド]の作り方

英雄・偉人のブランディング秘策

例えば、坂本龍馬のような事業家になれる方法?!


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(3)英雄はなりきる
小村寿太郎の場合[前編]
                   [2:実践編]

Jutaro_Komura   小村寿太郎は1855年に日向(宮崎県)で藩士の子として生まれた。明治維新は14歳のとき。藩の学校(振徳堂)で学んだ後、15歳で長崎を遊学し、次いで東京に出てきて大学南校(東京大学)に入学した。若い頃から秀才の呼び声高く、17歳のとき明治天皇の前で講義をしたこともある。20歳には文部省留学生としてハーバードに留学している。

 その後の彼の立身出世ぶりは年譜の通り。取りあえず、年譜を追ってみよう。

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西暦 年齢 出来事
1875~80 21~26 文部省第一回留学生に選ばれハーバード大で法律学を専攻。
1880 26 刑事局出仕
  ↓
大阪控訴裁判所判事
  ↓
大審院判事
1884 30 権少書記官
1888 34 翻訳局長
1893 39 清国臨時代理公使
1894 40 日清戦争
1895 41 閔妃暗殺事件

政務局長として朝鮮へ

1896 42 小村・ウェーバー協定
1896~98 42~44 外務次官に

西園寺公望・大隈重信・西徳二郎外務大臣の下で次官

1901 47 駐清公使

駐米・駐露公使・駐清公使

1901~05 47~51 第一次桂内閣の外務大臣
1902 48 日英同盟調印

男爵の爵位を授かる
1905 51 ポーツマス条約締結

全権として講和条約を締結

1905 51 第二次日英同盟を締結
1906 52 枢密顧問官・駐英大使
(伯爵の爵位を授かる)
1908~11 54~57 第二次桂内閣の外相に就任
1910 56 日韓併合
(侯爵に爵位を授かる)
1911 57 日米通商航海条約を改正し、関税自主権を回復
1911 57 死去



 こうやって年譜を追っていくと、順風満帆な官僚人生を歩んでいるように思える。時代の趨勢に歩を合わせるように着々と出世している。

 「さすが、神童とも呼ばれるほどの秀才はどこか違う!」

と、羨ましがるのはブランド戦略の初心者だ。人生の初心者でもある。心が幼いとも言えよう。

 人間生まれたときに他人と差があるのは、身体と環境だけである。それを活かす潜在力は等しく与えられている。ただ、それを発揮できるかできないかは、本人の「心と脳」次第である。

 略年的に偉人などの人生を辿っていって、「こんな人になれたらな~」。

 これは「憧れ」とは言わない。ただの羨望である。羨望は、自分の不遇を運命であると捉える「ご都合主義」を助長するだけである。

 羨望は、成功の正しい概念を探り当てる智恵のない潜在的貧者・左脳偏重思考者・比較評論学者の安閑の地である。

 成功は、自分が率先して周りに何かを与えることから始まる。自分以外の人・モノのせいにする精神は成功とはまったく正反対の作用である。

 では、小村寿太郎がなぜ出世できたのか?

 「頭が良かったから?」

 彼ほどの秀才ならあの当時、何人もいた。薩摩や長州などいわゆる倒幕を指揮した藩出身で藩閥を背景に明治政府の中でのし上がっていった秀才たちがウヨウヨいた時代である。藩閥の後ろ盾のない小村寿太郎の学才など、彼らの前では取るに足らない。

 「堂々とした風貌だった?」

 確かに写真では威厳がある。しかし、これは爵位を授かって以降のものだろう。風貌は環境によって変わる。彼が政界の元勲たちに認められていく前はもっと貧相な風貌だったに違いない。駐清公使のおりには欧米の公使たちから「ねずみ公使」とあだ名されるくらいである。ちなみに、小村の身長は156cm(一説では143cm)。池のめだか級である。成功に身長は関係ないようだ。

 答えは、「なりきるパワー」の強さである。「憧れ力」とも言い換えられる。

 憧れる力については、前回「英雄は憧れる。漢の高祖・劉邦の場合」でも紹介したが、小村寿太郎の憧れ力は劉邦のそれとは違い、より具体的・直接的である。

 劉邦は、右脳イメージを長い時間をかけて身体性に転換していった。任侠の親分の大度な雰囲気を纏うことで、中国史上最も有名な王朝の開祖となった。

 小村寿太郎の憧れ力は、そのスケールから言えば、劉邦には遠く及ばない。しかし、そのスピードと実践性の高さにおいて、我々後世の人間に示唆してくれるエッセンスは劉邦よりも多いと思う。

 さて、小村寿太郎の憧れ力とは? 彼は誰になりきったのか?

                               [後編]に続く・・・

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