歴史から学ぶ[プライベートブランド]の作り方

英雄・偉人のブランディング秘策

例えば、坂本龍馬のような事業家になれる方法?!


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(3)英雄はなりきる
小村寿太郎の場合[後編]
                   [2:実践編]

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 「歴史に学ぶ」ということは、年譜を辿ることとは質を異にする。

 どのような価値観を持って、どのように行動を起こし、どのような成果を引き出したのか。その関係性を読み解くことが歴史を学ぶ醍醐味である。だから、学校で勉強した歴史科を歴史とは言わない。年表・年譜から知ることができるのは、その人物が遺した成果・結果のみである。

 また、いわゆる歴史オタク、もしくは歴史ファンタジー・オタクの歴史観とも異なる。彼らは、歴史上の登場人物が好きなのである。英雄偉人に関してあれこれ夢想するのが好きなのだ。

 英雄ブランディングは、まず世界一大好きなのは「自分」というスタンスだ。「社会に有用な存在になりたい」と志を抱くのは、あくまで自分である。自分を活かし伸ばす、そのために、「自分を活かし伸ばすことに成功した英雄偉人」から学ぶというスタンスである。

 ①自分 ②英雄偉人 の順番である。いわゆる歴史オタクと異なるのはこの順番である。

 さて、英雄偉人の価値観行動を知るには、広範なアンテナが必要となる。その時代の様相についても関心を向けないといけないし、同時代を生きた人々の習慣や考え方についても耳目を傾ける必要がある。また、作家などが膨大な資料をもとに想像力・創造力を発揮して遺した小説の類も重視する必要がある。

 歴史事実として科学的に証明できる現象を追いかけるのは学者の仕事である。事業家・マーケターなど、「自己をブランドにして価値ある人生を創造したい」と志向する者にとっては、そのエピソードが歴史事実かどうかは問題にはならない。

 例えば、劉邦の小説を書いた司馬遼太郎は劉邦という人物を題材に英雄ブランディングを実践したのである。だから、あたかも劉邦を我が目で見たかのように描けるのである。虚実入り交じったわずかな歴史事実の断片をつなぎ合わせて、自己の精神と脳の中で止揚した結果、物語として顕在化するのである。

 著述家の潜在力(想像力と翻訳力の所産である創造力)が、英雄偉人の物語を顕在化するのである。歴史・伝統とはすべてそのようなメカニズムで語り継がれる。

 つまり、小説家の作品すら、我々にとっては英雄ブランディングの素材として役立つのである。

 だから、英雄ブランディングは、学者や歴史オタクを対象とはしていない。

 あくまで、ブランド戦略や事業設計を志向する人が対象である。自分と自分の人生を素材にして、何らかの価値を創り出し、社会に提供することを選んだ事業家のためのブランディング実践手法である。(ここでいう事業家とは、「法人経営者」という意味ではない。「社会に役立つ価値を創造提供する気概と企画を持った人」というほどの意味である)

 さて、小村寿太郎のブランディング戦略の中で特筆に値するのは、彼の「なりきり力」であると述べた。

 「なりきる」とは、「憧れの人物とシンクロして同化する」ことである。あたかも、その人であるかのように振る舞うことだ。少なくとも、精神的にそのように能動するということである。

 それを如実に表しているエピソードを司馬遼太郎『坂の上の雲』から引用してみよう。

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 小村寿太郎というのは日向(宮崎県)飫肥(おび)藩の出身で、この物語の主人公の一人である秋山好古よりも四歳上である。

 明治三年、藩の貢進生にえらばれて東京の大学南校に入り、法律を学んだ。

 小村が十七、十八のころ、東京の町にはちょうど後年のスターのブロマイドのようにして太政大臣や参議の写真が売られていた。政治家がスターの時代であった。小村はそのうちの参議大隈重信(おおくましげのぶ)のそれを買ってきて、寄宿舎の机の上にかざった。その写真の裏に、

 「謹呈小村寿太郎君 辱友大隈重信」

 と自分でかいた。サイン入りということであろう。もっともそのサインは小村の偽筆であったが。

 学友がおどろき、君は大隈重信と知り合いか、と問うと、小村は傲然と胸を張り、

 「むこうは知らんだろう。わが輩は知っている」

 といった。この時代、この小さな新興国家の書生たちの学問の目標がなんであったかがわかる。単純明快な立身出世主義であり、(正岡)子規もこの年齢のころにはそうであったように大臣参議になって一国の運営をすることであった。

『坂の上の雲』第二巻 P.32~33





 「憧れるなんて簡単な作業だ」と我々は考えている。

 とんでもない!

 憧れることほど難しいことはない!!!

 小村寿太郎のこのエピソードが示すほどになるには、よほどの志と自己愛がなくてはならない。自己愛といっても、「自分しか愛せない」という意味ではなく、「俺は、世の中に役立つ存在たらんとしている、この俺自身が好き!」という感覚である。

 一見、傲慢なようにも見える。自己を恃(たの)み、他を下に見るような姿勢が垣間見えることもある。

 このような人は、才能という概念に関しても独自的な考え方を持つ。気概・志・生き様のすべてを才能という言葉の中に放り込んでしまい、自発的な社会貢献精神を持たない他人を「無能」と批判する。

 しかし、どうだろう?

 「謙虚で柔和だが、社会貢献の志を持たない者」はやはり無能ではないか?

 豊富な知識技術を持っていても、それを使わなければ、能が無いのと同じである。

 能ある鷹は爪を隠すというが、爪を持っているから隠せるのであって、爪を持たない者は隠しようもない。しかし、外からは見えないから、隠しているようにも見える。それが、自己中心的な人の謙虚さの正体であろう。

 その点、小村寿太郎は社会的義務感を大量に持っていたという点で、きわめて有能な偉人である。また、おのれの爪を隠そうともしなかった。征韓論で荒れる当時の日本。欧米列強のアジア侵犯を心配し、おのれの志と行動こそが国の存亡に関わると覚悟していた若者の代表例であろう。下らぬメールの証拠うんぬんで無駄な時間を使っている現代政治など子どもの遊びのようだ。

 話を戻そう。

 同じく「坂の上の雲」から、彼の才能観を彷彿とさせるエピソードを二つ。



   

 明治十三年、小村は (中略) 司法省につとめた。ほどなく外務省に転じ同二十一年、三十四歳で翻訳局長になった。このころ、かれが書生のころブロマイドを買った大隈重信が、黒田内閣の外務大臣をしており、小村の上官であった。あるとき、大隈は自邸で盛大な晩餐会をひらき、元老、大臣、次官、局長といった大官連中を招待した。

 その席に、落語家の円朝が余興をやるためによばれ、酒席の末席に侍(はべ)った。正面には、枢密院議長の伊藤博文が座っている。伊藤が、

 「円朝、盃をやろう」

 と、左手をあげた。が、末席の円朝は身分を考えて恐縮し、ひとのかげにかくれ、頭を下げたまま前へ出ようとしない。そのとき小村が、

 「円朝、出るのだ。なにを遠慮する必要がある」

 と大声でいった。そこまではよかった。

 「この席に廟堂の大官がずらりと並んでいるが、このなかで当代もっとも偉いのは貴公ではないか。元老も大臣もいま死んだところであとに偉い後継者がひかえて(自分のことであろう)いるが、貴公に後継者があるか。ないだろう。だから円朝、堂々と前へ出ろ」

 といった。

『坂の上の雲』第二巻 P.34




   

 明治二十六年、外務省の官制が変わって、翻訳局が廃止された。小村は、当然廃官になるところだった。 (中略)

 当時、外務大臣は陸奥宗光(むつむねみつ)であった。外務省の翻訳官に過ぎなかった小村は、陸奥によって外交舞台にひき出された。

 両人は、もともと縁が薄かった。あるとき、陸奥宗光が司法大臣の芳川顕正(よしかわあきまさ)とともに新橋駅のプラットホームをあるいていると、小村は声高で笑い、

 「あれをみろ、ヘチマ(陸奥)とカボチャ(芳川)があるいてゆく。一はほそく一はまるし。しかしながら両方ともなかみがカラッポということで共通している」

 と言い、居ならぶ同僚たちに眉をひそめさせた。

 ある日、外相官邸で宴会があった。英国へ総領事として赴任する同僚を送別するための宴で、食後、たまたま英国の綿製品のはなしが出、話題が紡績論にまでおよんだ。

 ところがこの席上、小村が精緻そのものの英国綿業論を論じはじめたのである。年度別の原綿の産額、輸出入の消長、さらに各種綿製品の優劣まで論ずると、同僚たちは驚嘆した。小村にすれば5年間のひましごとのあいまに調べたことだが、同僚たちにとっては翻訳官がこれだけのことを知っているとはおもわなかったのである。当時、翻訳局長などは外交官とおもわれていなかった。陸奥もおどろき、

 「君はどうしてそんな小さなことまで知っている」

 ときくと、小村は、

 「小さなことだけではありませんよ。天下国家の大事についてもいささか抱負をもっております」

 と言うなり、この小男の癖で、はじけるような高笑いをあげた。

 陸奥は、異動人事をするにあたってそのことをおぼえていたのであろう。しかし、空席が北京(ペキン)にしかなかった。 (中略)

 「君をワシントンにやりたい。しかしいま空席がない。当座、北京にゆく気はないかね」

 (中略)

 「むしろ、北京のほうこそ望むところです」

 というと、陸奥は小村の遠慮かとおもい、

 「しばらくの辛抱だ。何年かののちにはワシントンに君を置くことを考慮する」

 「ご心配はありがたいですが」

 と、小村はいった。

 「そういう将来においてもあなたが外務大臣をつづけていらっしゃるという保証はございますまい」

 カミソリといわれた陸奥は、どういう場合でも鋭利きわまりない論理を用意していたが、このときばかりは沈黙せざるをえなかった。

『坂の上の雲』第二巻 P.35~37

 とにかく傲慢な人物だ。しかし、痛快である。この人物でなければ日露戦を収めることはできなかったろう。

 性格とは、生来のものではない。習慣が作っていくものだ。

 習慣は価値観と環境によって左右される。

 何の志も持たず、ただ毎日生きているだけで良いという人には、小村のような性格が宿るはずがない。そのような人は、性格だけでなく、ただ大人しく何を考えているか分からないような風貌が身に付く。

 英雄偉人と一口に言っても、それぞれ生きた時代も価値観も環境も違う。当然、性格もバラバラ。

 しかし、おのれが信じる道(事業)を一心に見つめて行動した、という点では共通している。

 小村寿太郎の「社会感覚」「自己愛」「才能観」「傲慢さ」・・・。

 道を歩む者の一つのスタイルとして、大いに学ぶべきところがある。

 人間、心から「なりきる」とその通りになる。

 偽筆サイン入りの大隈重信のブロマイドを持っていた頃から、彼の下で働くまで、約17年。そして、さらに道を進め志を実現するまで、約5年。

 人間、真に憧れ、なりきれば、20年で、本当にそうなれるようである。

 小村寿太郎は、なりきりの天才であった。



 

●英雄偉人のブランディング秘策(メソッド) その三

英雄はなりきる。「憧れる」とは、目指すこと、同化(なりきり)すること、超えること。

  

さかもと教授の
ポイントレッスン!

 憧れ力・なりきり力は、「この私が社会を変えるのだ」という強い社会愛・自己愛の総合性ゆえに発現する神秘の力なのぢゃ!

 技能ではなく、心の作用ぢゃ!

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