(2) 英雄は設計する
坂本竜馬の場合 VOL.1
[2:実践編]
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自分の体たらく、弱さを自覚するたびに、坂本竜馬のことを思い出します。
坂本龍馬の物語を読むと、その凄さに圧倒されます。
彼が起草した「船中八策」は現代日本の政治・経済の基礎となりました。
彼が裏で画策したと言われる「大政奉還」は、日本を植民地化しようと日本の内戦を垂涎して待ち望んでいた欧米列強につけいる隙を与えませんでした。
彼と中岡慎太郎が薩長の間に入り仲介したお陰で倒幕活動は急速に動き始めました。
経済面でも彼が遺したものは今でも生き続けています。彼の死後、海援隊の事業は岩崎弥太郎によって三菱の海運・商社事業へと引き継がれていきました。
一介の志士でありながらこれほどの活動を成し遂げた人は類を見ませんし、他の革命志士と較べてみて特異なのが分かります。
なぜこのようなことができたのでしょうね?
坂本龍馬、27歳の頃。
桜田門外で井伊直弼が暗殺され、それをキッカケにして盟友の武市半平太が土佐勤王党をたちあげました。龍馬もそこに参加しました。
さしずめ、勉強もせずに大学を留年し続けていたスポーツ青年が、勤王家で有名な先輩が設立したベンチャー企業に入社したわけです。
その時、28歳。しかし、翌年には勤王党を脱退して、土佐藩を脱藩します。
「勤王ベンチャーって言っても、弁論と暗殺事業じゃ世の中は動かない! オレは船を手に入れて交易を興して、幕府を倒す!」
と勤王ベンチャー界から足を洗いました。
武市半平太ら勤王ベンチャー経営者は、議論や弁舌で人を酔わせ、公卿などから資金を提供してもらって組織を運営していました。
手がけている事業と言えば、講演活動・地方遊説活動。それと、敵対者を廃絶する暗殺事業でした。
「勤王」という事業カテゴリーはその当時、輝かしい響きを持っていました。
「IT事業」というカテゴリーが誕生した時の世間の浮かれようとよく似ています。
しかし、多くのITベンチャーと同様に、実の伴わない虚業だったわけです。
龍馬は実業の道を独りで歩もうと決意して、飛ぶ鳥を落とす勢いのベンチャー企業を退職します。そのまま残っていれば副社長になれたにも関わらず、です。
虚業と実業のちがい。それは非常にシンプルです。
虚業は、価値を生産しません。
勤王主義は確かに、時代の風穴を開けた一大ムーブメントではありました。
しかし、土佐勤王党をはじめとする各地の勤王ベンチャーは、「幕府を倒して勤王の世の中になると、我々の生活はこんなにも良くなるぞ。民衆の苦しみはこんなにも無くなるぞ」といった価値の約束を行いませんでした。
価値提案を行わない事業はすべて虚業です。
その一方、龍馬は・・・
(つづきは次回)
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