[日記・コラム・つぶやき]
こんな人のための講座です
[日記・コラム・つぶやき]
こんな人のための講座です
Are you kind of ・・・?
(1)マーケティングを勉強したい人
(2)セルフ・ブランドを確立したい人
(3)自分戦略・経営戦略を作りたい人
(4)組織を活性化したい人
(5)転職を考えている人
(6)就職活動中の人
(7)誰かを勇気づけたい人
(8)新しく何かを始めたい人
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(1)マーケティングを勉強したい人
(2)セルフ・ブランドを確立したい人
(3)自分戦略・経営戦略を作りたい人
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(6)就職活動中の人
(7)誰かを勇気づけたい人
(8)新しく何かを始めたい人
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[日記・コラム・つぶやき]
マーケティングを「学問」から
「生活」に引きずりおろす
Take down the marketing from study to life !
成功哲学の本が売れる。儲かる方程式がもてはやされる。お金の学問が流行る。マーケティングの重要性が取りざたされる。しかし、成功者が増えるわけではない。
かく言うわたしも、マーケティングの勉強は人一倍してきたつもりだ。でも、ごらんの通り・・・成功者ではない。もちろん、それはわたしのスキルとマインドのポテンシャルが低いことが大きな原因だ。ところが、わたしなど足下に及ばぬほど能力・知識がある人でも、誰の記憶にも留まらぬ一生を送ることがある。
それはひとえに、成功法則を「学問」としてとらえる風潮があるからではないか?
よくよく咀嚼・吟味してみると、特に難しいことは書いていないのに実践できない。それは「成功者の結果論」「賢人の足あと」として権威づけ過ぎているからであろう。
成功法則は、学問ではなく、生活様式として学ぶ。
わたしのように、無能なくせに成功したいという高望みを捨てきれない欲張り者には、マーケティングは学問ではなく生活術として捉えるのが、ちょうどいい。
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[日記・コラム・つぶやき]
自分と偉人の差を知る
(帰納的アプローチ 1)
Recognize differences between you and hero !
生活術としてマーケティングを捉える。その方法は人それぞれである。
我が子の成長を見て、そこからマーケティングの要諦を感じることもできる。上司との軋轢に経営の悲哀を感じることもある。愛犬のしぐさでビジネスの素晴らしさを痛感することも大いにある。
このブログでは、歴史上の英雄・偉人・豪傑・賢人・才媛の人生に範を求めたい。わたしが大の歴史好きだからでもあるが、歴史こそ「万世普遍の人間学」だからである。
セルフ・ブランディングとして、成功哲学として、最も実践しやすい方法は -
・歴史上の偉人の事跡を学ぶ
・そこから今の自分に活かせるエッセンスを学び取る
温故知新というやつだ。学校では前者しか教わらない。しかも、目的は受験である。大学に入ったとたん、6年間学んだことを忘れてしまうわけだ。
だから、このブログでは「生きた歴史学」を講義する。
自分の人生の素材として、じかに活かせるナマの歴史講義である。
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[日記・コラム・つぶやき]
自分を偉人になぞらえてみる
(帰納的アプローチ 2)
Think as people you respect ! Do as they did !
自分を歴史上の偉人になぞらえるなど、なんと不遜で自意識過剰な・・・
と思われる方もいるだろう。
しかし、これほど楽しくてタメになるセルフ・ブランディング法はない。
また、余談ながら子どもの教育にも良い。
江戸時代、寺子屋で子どもたちは歴史を学んだ。
偉人・賢人の行動や思想を学び、それを身につけたのである。
そこで学んだ日本人たちが、戦前の強くたくましい日本像を担っていたといえる。
彼らの成功物語を知れば知るほど納得できるはずだ。
寺子屋的教育こそ、マーケティング学習の最適環境であり、経営の学び舎(や)である。
「歴史はマーケティングの母」なのである。
誰でも一人くらいは「尊敬する人物」がいるはずだ。
その人物のことを深く知るのは、飲み屋で教養をひけらかすためではない。
その人物がいかにセルフ・ブランディングに成功したかを知り、そこから自分流の法則を構築するためである。
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[日記・コラム・つぶやき]
自分という材料で自分の人生を創る
(演繹的アプローチ)
Create your own life for yourself !
「守・破・離」という言葉がある。
単純に言えば、「真似」である。学ぶとは「まねぶ」である。すべては模倣から始まる。
「破」はこういうことであろう。
また、これも「破」と言えよう。
偉人の真似をするのは、もの真似そのものが目的ではない。
そこから自分の流儀・メソッドを見つけ出すためである。
そして、この項が「離」。
職人はものを材料にしてものを作り、賢人は自分を材料にして自分を作る。
自分を客観視して材料として認識できたとき、新しい自分を創り出す方法が目の前に見えるようになる。この段階に至れば、偉人のもの真似から脱却できている。「離」である。
人生は「守・破・離」の連続・継続である。
一度「離」を経験したとしても、すぐそこに成功があるわけではない。しかし、確かに、成功は「離」の向こう側にある。
だから、「歴史から学び続けること」を生活に取り込もう! 習慣化しよう!
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[日記・コラム・つぶやき]
どんなに有名でもブランドバリューを
正確には理解されていない龍馬
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コメントやトラックバックに関しては100%お返事していきますので、ご意見・ご感想・ご要望があれば何でもどうぞ! 「あの英雄・豪傑はマーケティング的にはどうなんだ?!」みたいな独り言でも結構です。
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However famous Ryouma Sakamoto is,
his brand-value is not accurately understood.
坂本龍馬からイメージする言葉は?
たとえば、100人にこの質問をして返ってきた答えを上位から並べると、おそらくこうなるだろう。
1位 海援隊(もしくは武田鉄矢・江口洋介とか・・・)
2位 薩長同盟
3位 竜馬がゆく(司馬遼太郎・著)
4位 おりょうさん
5位 勝海舟
6位 武市半平太
7位 北辰一刀流
8位 土佐勤王党
9位 岩崎弥太郎
10位 万国公法
しかし、わたしは「船中八策」が1位に挙げられるべきだと思う。
1.天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事
2.上下議政局を設け、議員を置き、万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事
3.有材の公卿諸侯及び天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事
4.外国との交際広く公議に採り、新に至当の規約を立つべき事
5.古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事
6.海軍宜しく拡張すべき事
7.御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事
8.金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事
では、なぜ「船中八策」か?
それは、船中八策こそ、近代国家・日本のビジョンステイトメントだからである!
これが五箇条のご誓文となり、明治政府のビジョンとして受け継がれた。100年以上経って、アメリカの内政干渉もあって、矛盾やほころびはいっぱいあるけれども、まだアウトラインはきちんと残っている。まさに、これこそ「無窮の大典」と言える。
坂本竜馬という英傑のブランドバリューを考えるとき、例えば、おりょうさんの存在のあるなしは、彼のコアコンピタンスに影響しただろうか?
歴史に「if(もし)」はないし、おりょうさん好きの人からは叱られるかも知れない。わたしだって、「あなたの人生において、奥さんの存在は大きいでしょう?」と問われれば、うなずくしかない。
しかし、ブランディングの要諦を学ぶとき、
「すべてが密接にからまって、その人を形成しているのだ」という常識論はとても邪魔になる。
なぜなら、「すべてが密接にからまって、その人を形成している」のは、世界中のすべての人間について言えるからである。
セルフブランディングとは、
「誰にも真似できない、誰とも似ていない、自分だけのオリジナルな価値」を発見し、表現し、立体的に構築するプロセスである。万人に共通している性質はセルフブランディングの参考にはならない。
「なにが彼を彼たらしめているのか!」
この一点に絞って考えなくてはならない!
「なに」の部分が明確であればあるほど良い。ここが曖昧だと、結局、「すべてが密接にからまって、その人を形成しているのだ」論と大した変わりはない。
この「なに」という部分を、具体的な言葉とかシンボルで表現することができれば、その人はセルフブランディングの成功者といえる。プライベートブランドの構築者である。
「これがなければ、その人じゃない! 根っこの、根っこのアイデンティティーとは?!」
坂本竜馬の場合、それは「船中八策」ではないかと思う。
坂本竜馬における「欠くべからざるコアコンピタンス」をしっかり把握することは、とりもなおさず、「じゃあ、ワタシはなにをすればワタシらしいのか? オンリーワンな存在として認められるのか?」につながる。
だから、坂本竜馬の[セルフブランド]は、おりょうさんでも、海援隊でもない。
日本ではじめて国家大計の政略・戦略を言葉に表した「船中八策」こそ、坂本竜馬の坂本竜馬たるゆえんである。
・・・ですよね、先生?
![]() | そのとおりじゃ! しかし、それだけでは竜馬の本質は読み切れまいて。国家元首の立場でもなく、上級官僚の立場でもなく、いち私企業のリーダーという立場であったにも関わらず、国家の大計を起草したところがスゴイのじゃよ。さしずめ、資本金五千万円程度の零細企業の社長が総理大臣に代わって国家戦略を考えるようなもんじゃ! そのスゴさが分かるじゃろう!? 志の高さこそマーケティングの基本じゃよ。 |
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竜馬は船中八策。あなたは?
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Ryouma Sakamoto advocated "Eight plans in ship".
How about you?
慶応3年(1866)初夏。土佐藩籍の蒸気機関船「夕顔丸」。
その船室のひとつで、粗末な紙の上に、新国家・日本のビジョンが墨書された。
船中八策
国家戦略八項目を船の中で書いた坂本竜馬。
さて、あなたは、どこで、どんな策を立てますか?
厠中一策。トイレできばりながら一策ひねり出す?
車中三策。前の車への罵声よりも三策?
衾中五作。暖かい布団のなかで五策?
夢中無策。寝入ってしまって無策で終わる?
![]() |
マーケティングは会社の机の上でやるものではない。寝ても覚めても、自分のポジショニングを考え続けることこそ、成功への近道じゃ。戦略家にON・OFFがあってはならない。 |
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ノアの方舟に乗る方法
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How to get on Noah's ark
聖書にノアの話が載っている。キリスト教徒でなくとも、誰でも知っている神話的記述である。「愚かな人類を滅ぼすために大洪水を起こすから、方舟を作ってそれに動物と家族を乗せよ」という神の啓示を受けたノアの話である。詳しく知りたい方は、聖書を読むか、こちらの映画を観られることをオススメする。
さて、ご存じだろうか?
方舟にはノアの家族(ノアと妻。息子3人とその妻たち)と、すべての動物のつがい(家畜は7種のみ)しか乗れなかったという。
さて、ここで考えてみたいのは神がノアに命じた真意である。セルフ・ブランディングの視点から考えて、この物語は何を物語っているのか?
例えば、自分が乳牛だと仮定してみよう。目を閉じて想像して欲しい。
ここはのどかな牧草地。大好物の草が繁茂している。100頭ほどの仲間とのんきにランチ中。牧場主はマヌケな顔をしたオッサンだ。毎朝、オヤジは家族総出でワタシたちの乳を搾る。ワタシたちのミルクはずいぶん評判が良いらしい。そりゃそうだわ。いつも健康的な生活してるもん。無農薬の牧草と美味しい空気。食っちゃ寝、食っちゃ寝の毎日。でも、あれだけはイヤね。体に焼き印を捺されるのは。いくら区別がつかないからって・・・。
どこにでもありそうな牧場、どこにでもいそうな牧場主。あなたの周りの環境がこんなだったら、あなたは何もする必要はない。ずっと、こんな平和な生活が続くのだ。
でも、もしあなたの飼い主が旧約聖書のノアだったら?
ノアは7種類の家畜しか方舟に乗せないと言っている。
あなたは100頭の群れのなかから選んでもらえるだろうか?
'brand'という言葉は「焼き印を捺す」という意味があるらしい。旧時代のブランド論では、あなたは他の乳牛との差別化をはかるだけで良かった。
しかし、これからのセルフ・ブランディングは、あなたは乳牛の仲間である時点で、すでに選んでもらえるチャンスを失っていると言える。
既存の「種」ではなく、まったく新しい「種」として、みずから'Reborn'(再生)する方が近道なのかも知れない。
差別化ではなく、個別化・独自化こそがこの講座の原則である!
![]() |
そうじゃな。よく似た商品、よく似たサービス、よく似た特徴の人物。もし自分が「あなた、誰それに似てますね?」と言われたら、それはこれからの時代、そんなに嬉しいことではないと思わねばならないな。「今まで一度も聞いたことがありません!」と相手を驚嘆させるようなセールスポイントがないと、ノアに選んでもらうことは無理じゃろうな。 ところで、増井君。きみ、「個独化」というテーマで、雑誌に連載を書いているそうじゃな? ここで宣伝したらどうかね? |
増井:
あっ、はい。会計事務所業界の専門誌にちょこっと書かせて頂いております。4/10前後に連載1回目(全4回)が出ます。そこに書いたテーマは、いずれこの講座でも取り上げようと考えています。ただそのまま再掲載するわけにはいきませんので、この講座用に論点を整理しなおして、発表するするつもりです。
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王陽明の「良知」
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"Ryouchi"of Wang YangMing.
王陽明は、「生まれついての善人もいなければ、悪人もいない。赤子が母親を慕うような本能(良知)だけを持って生まれてきたのだ」と言っている。不善不悪だ。
しかし、われわれはともすれば、誘惑に負ける。自分で、自分の進む道を、善と悪に振り分けているだけのことなのだ。
セルフ・ブランドづくりも同じこと。
「私はアレキサンダーのように偉大な事業を成し遂げられる!」と信じればそのようになるし、「どうせオレは頭悪いから・・・」と低いラインで初期設定すれば、当然のことながら、それ以上には伸びない。もちろん、「思いこみさえすれば勝手に成功する」わけではない。人一倍の努力はいる。しかし、それも周りの皆がやっていることを何倍もせねばならない、というわけではない。
マーケティングの大切さを説いても、こう言って相手にしない経営者がいる。
「毎日オレは経営をやってんだ。現場で指揮してんだ。マーケティングなんてハーバード卒のMBAにやらせておけばいい」
こういう経営者は「人一倍の努力」を「労働力」と定義している。だから、すぐ時間や売上高を問題にする。
「人一倍の時間を費やして労働しているからマーケティングができない」、もしくは「要らない」という論法だ。
誰も考えないようなことを、一日のわずかな時間を費やして考えればいい。それが1年も積み重なれば、誰も真似できないような智恵袋が自分の中にできるはずだ。労働時間とは何の関係もない。
セルフブランディングは、そんなわずかな「努力」で叶うのである。
信じるか、信じないか。
信じたとおりにやるか、やらないか。
たったそれだけのことである。
たったそれだけのことを、マーケティングは学問として我々に説く。
「マーケティングは学問よりも、生活様式として学ぶ方が役に立つ」と、この講座で力説するゆえんである。
![]() | 王陽明について、もう一つ付け加えておこう。助手の増井君の言うとおり、確かに、「信じて、そのとおりに行動すればいい」のだが、人間は誘惑に弱い生き物じゃ。古の聖人・賢人は山に籠もって、弱い自分を鍛えたと考えられてきたが、実はそれは正反対なのじゃ。弱い自分を鍛え直すには座禅や瞑想ではダメなのじゃ。つねに人間を相手にする「仕事」というものに向き合っていなくてはならない、と王陽明は説いておる。それを、「事上錬磨(磨錬):じじょうれんま(まれん)」と言うのじゃ。じゃからのう、マーケティングの「論」を頭にたたき込んでも何の役にも立たんのじゃよ。「評論家」では社会を変えることはできないのじゃよ。 |
追記:
こちらのサイトで「ブログが起こした奇跡」が掲載されています。人間の「良知」がなせるワザですね。王陽明も草葉の陰で喜んでいることでしょうね。
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こじつけ力がものを言う(孟嘗君)
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[本日さかもと教授はお休みにつき助手・増井の補講]
A power of distortion matters.
歴史偉人は「こじつけ力」も偉大!
◆ 歴史に名を残す「こじつけ名人」 其の一
中国戦国時代に孟嘗君という人がいた。斉国の宰相で、名を田文(でんぶん)という。
鶏鳴狗盗(けいめいくとう)のような些細な能力を持った者をはじめ、食客を三千人も養っていたとか、大国・秦の脅威から、韓や魏を救ったりと、戦国時代の歴史を語るには絶対に外せない人物である。魏の信陵君・楚の春申君・趙の平原君とともに「戦国四君」と称される。
さて、ウソかマコトか知らないが、彼はもともと望まれた子ではなかった。五月五日に生まれた子は、「背丈が戸口に達するようになると、親を殺す」という迷信があった。父は生まれたばかりの田文を殺せと命じた。しかし、母はこっそりと田文を育てた。
元服を迎える頃になって、ようやく父子の初対面が叶うのだが、もちろん、父は怒る。「あのとき、殺していなかったのか?!」と。
田文は父に向かって、こう言った。
「父上、五月五日生まれの子は背丈が戸口の高さに達すると親を殺すと言われております。もしその言い伝えが 本当ならば、戸口を高くすれば済むではありませんか。果たして、戸口が子に親を殺させるのでしょうか? 愚かな私にはそれが不思議でなりません・・・」
このひと言で、父は田文の才能に感じ入り、他の子らと同じように部屋住みの身分を許したと言われている。
また、ある日、彼は父を諫めてこう言っている。
「父上、子の子は何と言うかご存じですか?」 → 「孫じゃ」
「では、孫の子は?」 → 「曾孫(ひまご)じゃ」
「では、曾孫の子は?」 → 「玄孫(やしゃご)じゃ」
「では、玄孫の子は?」 → 「う~ん。知らんわい!」
「そんな、なんと呼ぶか分かりもせぬ子孫のために、これほどの金銀財宝を残してやる必要があるのでしょうか?」
そうやって、彼は私腹を肥やす父を諫め、その資産を使って、全国各地から人材を求めた。その数、およそ三千人。父も田文の才能を認め、数十人もいた跡継ぎ候補の中から、嫡男でもない田文を選び、家と宰相の職を継がせた。
これらのエピソード。孟嘗君を称える作り話という説もあるが、事実の詮索は学者さんの仕事だ。
私はこのエピソードが物語る「こじつけ力の効用」にこそ、学びがあると思っている。
◆ 「こじつけ」と単なる「屁理屈」の違い
つづきは、メールマガジンのバックナンバーで!
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一番手の法則(1)
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The law of leadership.VOL.1
アル・ライズ氏はその著書「マーケティング22の法則」において、「一番手の法則」を一番最初にあげている。
私たちはいつも誤りをおかす。
「うちの商品は他のよりも、優れているはずなのに・・・」
そう考えてしまうことそのものがマーケティングの禁忌を冒している、と彼は言っている。
大切なのは、「あなたの商品・サービスが他社よりも優れていることを顧客に納得させること」ではなく、「あなたが先頭を切れる分野を創造すること」である、と。
そして、このような質問を投げかける。
(1)大西洋を最初に単独で横断飛行した人物の名は?
(2)大西洋を二番目に単独飛行した人物の名は?
答えは、(1)リンドバーグ、(2)ヒンクラーである。
ヒンクラーはリンドバーグよりも、少ない燃料で早く飛行したという。
しかし、ヒンクラーは誰にも知られることなく、実際にヒンクラーは家出をして家族さえその消息を知らなかったという。
ブランディングで大切なのは、「優れていること」ではなく、「一番手であること」なのだ。
もちろん、一番手でありさえすれば粗悪品でも構わないということではない。むしろ、顧客の期待を裏切り、信用を傷つける粗悪品なら、「粗悪品として一番手」と認識されてしまうだけのことだ。
ちなみに、私は小学生の頃、自転車をこぐのがとても遅かった。友だちにいつも「お前ほど遅いヤツは見たことがない!」とバカにされたが、いま思えば、私は友だちにとって、「最も自転車をこぐのが遅い最初の友人」として認識されていたと言える。
些細ながら、ブランディングの成功例である。
![]() |
増井君。それは我田引水と言うのじゃよ。 ところで、次回は、歴史偉人を題材に一番手の法則を検証してみようじゃないか! 創業者で名前の残っていない人物は皆無と言っていいのじゃ! |
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天下三分の計
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A strategy of a tripod kettle.
(この英訳で良いのか・・・?)
諸葛孔明の提唱した天下三分の計は、現代の経営戦略にも充分に活かせる。
いや! 活かせるどころのハナシじゃない。事業ブランディングのど真ん中を突く、重要なハナシである。詳細はこちら
![]()
ライバルだらけの競争世界で、「自分 vs 自分以外」の差別化抗争の泥沼に足を踏み入れると、とんでもないことになる。その戦いを継続するだけの資金力の勝負になる。しかも、その世界で自分がトップランナーでない場合、トップランナーが設けた障壁は簡単に越えられるものではない。
例えば、宣伝広告費である。二番手以降が、一番手を追い落とすために使う宣伝広告費用は、一番手に危機感を抱かせるどころか、むしろ喜ばせる。二番手以降は、大枚をはたいて、一番手を助けているようなものだ。自らの首を絞めるのである。
そんなとき、二番手以降、いや二番手ならまだマシだ。三番手や四番手と手を組むことで、一番手の牙城を崩すという方策が残っているからだ。
しかし、トップ10に入らない場合は、トップ集団の土俵に上がることさえ不可能である。
それなら、その競争を続けること自体が失敗である。
「ここで戦い続ける!」という勇気は、匹夫の勇でしかない。帝王学としては失格である。
諸葛孔明のススメに従い、「曹操の天下を少しでも狭めてやろう」という微視的な戦略を捨て、「蜀を獲得して、自分の天下を創造する」という事業計画書にハンコをついた劉備を、我々は見習わなくてはならない。
![]() |
それにしても、腹立たしいのは劉備の子・劉禅じゃ! オヤジの偉業、孔明の徳、諸将の武を継ぐことなく、ただ成都でノホホンとしおって! あやつがもう少し骨のあるヤツなら、孔明の跡継ぎとなるべき人材を捜していたら、少なくとも蜀は魏と対等に渡り合える実力を身につけられたかも知れん! 武田信玄は「人は石垣、人は城」と言ったが、トップは大局的な戦略を描ける人材探しに余念があってはならんということが、これでよぉ分かるのぉ。 |
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一番手の法則(2) -秦の始皇帝-
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The law of leadership.VOL.2
-"Qin Shi Huang" The first emperor of China -
本日の講義、はじめるぞ~い。
今日の講義が面白かった・役に立った
というひとはこの画像をクリックぢゃ!![]()
![]() |
今日の講義は前々回の続きぢゃ! 助手の増井君の我田引水で終わった「一番手の法則」(by アル・ライズ氏)を歴史人物で検証してみようじゃないか。 この法則の基本をまとめてみたので、まずはそれを読んでからぢゃ! |
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一番手の法則
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一番手になることはベターであることに優る
"It's better to be first than it is to be better"-
アル・ライズ著『売れるもマーケ・当たるもマーケ マーケティング22の法則』(原題:The 22 immutable laws of marketing)より
●この法則のポイント
(1)一番手とは、「その分野で最初に登場したもの」を指す
(2)その分野で「代表的なもの」を思い出せば、それはたいていの場合、その分野の「一番手」である
(3)最初のブランドが先行的な立場を維持できる理由は、そのブランド名がその分野の総称・代名詞になる場合が多いからである
(4)人はたいてい、一番最初に心に入り込んだものを、その分野で最も優れたものと錯覚する
(5)同じような特徴を持った商品・サービスが目の前にあるとき、人はたいてい「最初に出逢った方」を贔屓する。二番手の方が、品質・機能が優れていてもである。
↓ ↓ ↓
●この法則から得られるブランディング実践法
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自分や自分の事業・商品・サービスを、「~で最初の~」と称することができるかどうか!
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「秦の始皇帝」というブランドが一番手の法則を満たしているか、上記の5点について100点満点採点で検証してみた。
(1)その分野で最初に登場したブランドか?(30点)
「皇帝」を冠する人物は数あれど、中国史上、最初の皇帝だから「始皇帝」なのである。秦王・政は皇帝というカテゴリにおける一番手である。よって、30点!
(2)皇帝カテゴリのなかで最も代表的なものか?(20点)
これは意見の分かれるところであろう。
歴史が得意ではない私の妻に尋ねてみた。
答えは、「始皇帝」だった。1秒もかからず答えたところを見ると、始皇帝はこの法則性を満たしていると言えよう。
但し、私の妻が「始皇帝しか知らない」という場合もある。好き嫌いという主観が邪魔する場合もあろう。それらの点を鑑みて、-5点の15点。さらに、下記で紹介するYAHOO!の検索結果も考慮に入れて、さらに-5点。小計、10点。
(3)一番手のブランド名がそのカテゴリを総称しているか?(30点)
これもクリア。文句なしの30点!
なぜなら、皇帝というカテゴリ名を創り出したのが、秦の始皇帝自身であるからである。
彼は、始皇帝を名乗る前は「秦王」と名乗っていた。秦国の王様である。それが、他の敵対国をすべて滅ぼして、中国を統一してしまった。つまり、他の王をすべて排除したのである。当然、王ではなく、他の称号を名乗らないといけない。そこで、伝説的に語り継がれている「三皇五帝」から取って、皇帝という称号を創ったのである。世界で最初に皇帝を自称したゆえに、皇帝という称号名がその後も受け継がれ、ついには「王朝トップを表す称号名」というカテゴリの総称となったと理解することができる。
自分が創ったブランド名が、自分の属するカテゴリ名をも表している最も偉大な歴史サンプルである。ヤマト運輸の「宅急便」しかり、旭化成の「サランラップ」しかり・・・。
![]() |
----------さかもと教授の豆知識---------- 三皇 = 天皇・地皇・人皇 五帝 = 黄帝・顓頊(せんぎょく)・嚳(こく)・尭(ぎょう)・舜(しゅん) 一般にはこの8人を指すが異説もいくつかあるのぢゃ。ま、ブランディングにはどうでもいいことじゃが・・・ |
(4)人の心に最初に入り込んだブランドか否か?(10点)
(5)類似ブランドと比較して贔屓してしまうか?(10点)
これもおそらく主観によって答えは異なるが、統計によって最多得票者を決定できる。
YAHOO!で代表的な皇帝の名称を検索してみた。
エントリーは、秦の始皇帝(秦王・政)、漢の高祖(劉邦)、後漢の光武帝(劉秀)、魏の文帝(曹丕)、晋の世祖(司馬炎)、隋の煬帝、唐の高祖(李淵)、宋の太祖(趙匡胤)、元の世祖(フビライ・ハーン)、明の太祖(朱元璋)、清の太祖(ヌルハチ)。合計11名。
ランキング結果は以下の通り。
1位 132704件 魏 文帝38302 (曹丕)94402
2位 114952件 秦 始皇帝63300 (秦王 政)51652
3位 92767件 明 太祖86546 (朱元璋)6221
4位 78435件 漢 高祖28905 (劉邦)49530
5位 74130件 清 太祖66285 (ヌルハチ)7845
6位 73285件 宋 太祖70867 (趙匡胤)2418
7位 63051件 唐 高祖60768 (李淵)2283
8位 27960件 隋 文帝23205 (楊堅)4755
9位 15540件 後漢 光武帝5820 (劉秀)9720
10位 6080件 晋 世祖309 (司馬炎)5771
11位 5474件 元 世祖3446 (フビライ・ハーン)2028
始皇帝は惜しくも2位。「始皇帝暗殺」など、始皇帝が登場する物語は多数あるにも関わらず、やはり三国志に登場する「魏の文帝・曹丕」の知名度には負けたようだ。相手が三国志では、さすがの一番手も順位を譲らざるをえないかった。しかし、減点しても、-5点。小計15点。
以上のように検証した結果、85%の確率で、「秦の始皇帝は一番手の法則を満たしている」と言えよう。
この要領で、ご自分の事業・商品について検証してみてはいかがだろうか?
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もちろん、ブランディングの要件は「一番手の法則」だけではない。アル・ライズ氏は22もの法則を挙げているし、マーケティング、ブランディングに関するセオリーはライズ氏以外にも名著がある。 こうやってセオリーを卑近な例で検証する習慣を身につけることによって、ブランディング脳・マーケティング体質・戦略思考・経営者意識を醸成することが可能ぢゃ! 今後も、この講義では様々なマーケティング・セオリーを検証していき、日常生活に取り入れることができる実践法を示していこうと思うのでな、できるだけ出席して欲しい! ときどき抜き打ちテストもやるぞ! |
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[日記・コラム・つぶやき]
「月刊シリエズ」で連載が始まりました
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コメントやトラックバックに関しては100%お返事していきますので、ご意見・ご感想・ご要望があれば何でもどうぞ! 「あの英雄・豪傑はマーケティング的にはどうなんだ?!」みたいな独り言でも結構です。
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今日はさかもと教授はお休み。 わたし講義助手の増井から、お知らせです。 |
会計事務所業界誌の月刊シリエズで、今月から、わたし増井の連載がスタートしました(全4回)。残念ながら、この雑誌は一般書店では販売しておりませんので、定期購読者以外は読むことができません。あまりここでPRする意味も無いのですが、下記のような趣旨を連載していますので、会計業界以外でもお役に立つと思います。近々、この講座用にリライトして連載していきますので、お楽しみに!

会計事務所のためのブランディング講座 [第1回]
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1/68,000から1/1へ
「個独な会計事務所」になる方法
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●独自性があること 独自性を主張すること
●近視眼的な差別化戦略に活路なし
●差別化から個別化へ
●事業カテゴリーそのものを作る
●「個独化戦略」のイメージ
●「個独化戦略」の三大原則
●コラム:ノアの箱舟に乗る方法 ←(この講座でやりました)
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[第2回] 個独化ブランディング実践法 その一
[第3回] 個独化ブランディング実践法 その二
[第4回] 事務所経営の改革案
・・・というような内容です。
「個独化」というコトバは勝手な造語ですが、シリエズの連載では、職業会計人や会計事務所の所長さん方を対象に、この概念を詳しく説明して、その実践法を紹介していきます。
しかし、個独化という方法論は、変革期にある業界のほとんどに当てはまるセオリーだと思います。
それに、この講座の趣旨は「マーケティングやブランディングを、小難しい経営理論ではなく、生活様式の一部に取り込んで学び、実践する」ことにあります。
まさに、そういった身近で具体的な方法を、私なりの、いえ、さかもと教授なりの味付けで公開していきます。
今日は講義らしい講義はしていませんが、
「個独化」という概念。関心持って頂けました?
そういう方はこの画像をクリックして下さい。![]()
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[日記・コラム・つぶやき]
あなたの「夢」の定義は?
What do you define the word "dream"?
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コメント欄に、あなたなりの「夢」「目標」の定義を書き込んでみて下さい!
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「概念」とは面白いもので、人によって定義が異なる。正しい間違っているという問題ではなく、単純に、生い立ちや年齢、職業、性別などによって、定義がまったく異なってしまう。
先日もそういう例を体験した。
私は「夢とは願えば叶うものだ」と定義していたが、ある人は「願ってもなかなか叶わないもの」と定義していた。では、叶うものは何かといえば「目標である」という。なるほど~、と唸った。一方、私は目標とは「夢を果たすために自分に課したハードル群」だと定義している。
「フルマラソン完走(5時間以内)」を夢とするならば、「10キロの減量」とか、「公園外周5周を1時間以内で走破」などを目標と呼んでいる。
読者の皆さんはいかがでしょうか?
もし宜しければ、皆さんの「夢」の定義を教えて下さい!
コメントのフォーマット:
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例えば・・・・・・・・・を夢と定義するならば、・・・・・・・・・・・・・・を目標と定義している。
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![]() | 「センセイの夢の定義は?」(増井) 「ZZZZZZZ・・・」 「あ、なるほど。いまの状態のことですね?」(増井) |
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[日記・コラム・つぶやき]
オンリーワン専門家オフ会に参加してきました
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今日もさかもと教授の講義は休講。センセイはいま「英雄ブランディング・シンポジウム in NY」ですので、来週まで日本に帰ってこられません (助手・増井) |
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出欠をとりま~す! この画像をクリックして下さ~い。![]()
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このブログ「英雄ブランディング講座」はオープンから今日で21日が経過しました。尊敬する事業家・坂本竜馬と、尊敬するマーケター阪本啓一さんへのオマージュも込めて、「歴史はマーケティングの最良の勉強材料」という思いで書いております。もちろん、「さかもと教授」のご指導のもとで・・・。
とはいうものの、このブログを立ち上げるには様々な人のご協力がありました。上記の両さかもと氏はもちろんのこと、私に歴史の面白さ・大切さを教えてくれた両親と学校の諸先生がた。特に、雑賀先生、長谷川先生、柏井先生、松浦先生、藤善先生、司馬先生、海音寺先生、陳先生・・・。枚挙に暇がないほど・・・。
そして、ブログというメディアで夢が叶うことを教えてくれた中野瑛彦さんには感謝してもし尽くせないほど。
20(水)、中野さんらオンリーワン専門家、オンリーワン専門家を目指す方々が集まるオフ会に参加してきました。
皆さん、「誰ともかぶらない個性的で独自的な事業・プロジェクト」を作っていらっしゃる方ばかり。
「歴史はマーケティング最良の教材」だけど、双方向コミュニケーションを尽くす場で、自分の仮説を検証できてこそ、歴史から学ぶ価値も高まるというもの。
孔子も言っています。
学んで思わざればすなわち罔(くら)し、思いて学ばざればすなわち殆(あや)うし
お勉強だけじゃダメ。実践が伴わないと。実践だけじゃダメ。お勉強もしないとね。
実践家の集まりで自分を磨いてこそ、講座にも精彩が出るというものですね。
ここは歴史オタクの集まる場所じゃない。あくまで、経営者的・マーケター的実践行動によって、自ら道を切り開いていく人のための歴史資料館なのです。
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[日記・コラム・つぶやき]
ブランディングは持ち物で決まる!
[坂本竜馬の場合 Vol.1]
Branding is decided by the property.
[A case of Ryouma Sakamoto Vol.1]
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はい、ここで出欠を取ります!
今日の講義、面白そうだなという人は
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ある時、坂本竜馬がある同志(桧垣清治)に出逢った。その同志が土佐独特の長刀を腰にたばさみ、壮士気取りで肩で風切るのを見て、竜馬は言った。「無用の長物。とっさの行動に支障あり」と、自分が帯びている短刀を同志に見せた。その同志はもともと竜馬を尊敬していたので、さっそく長刀をやめて短刀に変えた。しばらくして、再び竜馬に出逢った時、「今やピストルの時代」と懐から高杉晋作から貰ったピストルを取り出して、空に一発放って快活に笑った。そして、三度、竜馬に出逢った時、懐から洋書一冊を取り出して、「これからは万国公法の時代じゃきに!」。呵々と笑った。
坂本竜馬にはこの手のエピソードが他にもあり、彼の着眼点の大きさを物語っている。このエピソードは坂本竜馬ファンならば誰でも知っているほどの有名なハナシだが、これをブランディングの視点からとらえると更に面白い。
北辰一刀流の塾頭をつとめた人物だけに、もちろん剣術には自信がある。しかし、彼は生涯、人を刀で殺すことはなかったという(注記:戦と自己防衛の例を除く)。殺伐とした人斬り横行の時代にあって珍しい事である。もともと性根が優しく、人間が大好きなのである。つまならい意地やわだかまりで、本来自分の味方にすべき相手を敵にしてしまう愚かさを嫌う徹底した合理主義者である。嫌いな相手でも世直しという大義のためになら手を取り合う「大度」があった。
ちなみに、幕末は血気盛んな観念者(こだわり者)の巣窟であった。その中で、竜馬の合理精神は特筆すべき特徴である。戦国史・幕末史を見ていると、「こだわり者」と「合理家」の共同事業で天下国家が構築されることが分かる。風穴を開けるのは「こだわり者」であり、仕上げをするのは「合理家」である。竜馬は仕上げ担当者であったと言える。
また、人間とのわずかな接点を血で汚したくないという純粋な対人観が底流にある。強いほど優しく、優しいほど強い。剣道や武道、いわゆる「道」の基本である。
だから殺人道具である刀はできるだけ小さくて良いという言葉になる。
ここで坂本竜馬の人生というブランドに、一つ目の際だった特徴(コンセプト)を見て取れる。
不殺
である。徹底した不殺主義を貫いている。いくら高邁な理想を掲げても「殺」「血」のイメージがつきまとうと、人はついてこないと考えていたのである。武家育ちといっても、商家が武家の株を買った半商半士の家で育っている。刀で障害を取り除くより、言葉と経済行動で障害を融かす資質が身に付いている。そこが、他の志士たちと違うところだ。
二つ目のコンセプトは、
目的重点主義
北辰一刀流を修めておきながら、刀よりピストルを重んじるということはどういうことか?
武辺一筋の剣豪であれば、「剣は村正か正宗か」とこだわるところだが、彼は刀をなかば捨てている。もちろん、写真の肖像のように、座れば鞘が床につくほどの長刀を腰に差してはいるのだが、飾りみたいなものだ。デモンストレーションの効用しか剣に期待していない。そもそも抜くつもりはないのである。だから、ピストルを持ち歩く。
寺田屋で幕府の捕り方に囲まれた時も、「捕り方の役人も人の子」と刀で応戦することはなかった。ピストルを数発放って、その場を切り抜けている。あのような正当防衛の戦時においても、不殺を心がけ、目的である「逃げる」ことに全精力を注いでいる。決して、敵の覆滅をはからない。つねに「いまやるべきことは一つだけ」と目的を重点化しているのである。
ブランディングの要諦も目的を絞ることにある。他人とは絶対に重ならない「究極の一点」(プライム・ポイント)に絞って精力を注ぎ込むことである。
ちなみに、「プライム・ポイント」という表現は私の勝手な造語である。マーケティング用語でもなんでもない。「究極の一点」「最良最小のセールスポイント」と言い換えても良い。「プライム“prime”」とは、「第一の、主要な、最初の、原始的な」という形容詞であり、「初期、青春、全盛期、最良の部分」という名詞でもある。私は、「最良の部分」が意味するところに注目してみた。ステーキ屋さんにいけば、メニューに書いてある。「プライム・リブ・ロース 7,500円」と。一頭の牛からほんのわずかしか取れない最上質の部位の肉を「プライムリブ」というのだ。また、素数を英語では「プライムナンバー」という。素数は1とその数でしか割り切れない数のこと。他の数字(特徴)によって割られることのない、独尊の数字である。最良にもプライム、独尊にもプライムという言葉をあてるということは、独尊(究極の一点)は最良であるということを表している。
Palmtreeの阪本啓一先生はこれを「とんがり」と言っておられ、アル・ライズ氏は「集中の法則 “The Law Of Focus”」と名付けておられる。
もっと早く受けてみたかった「ブランドの授業」 「本当の価値」はどのように創られるのか?
このように、英雄豪傑の言葉や行動には必ずマーケティング、ブランディングの要諦が含まれている。
マーケティングを経営者の学問として学ぶより、歴史人物への憧れの延長線上に置くほうが実践的で役に立つというのは、このためである。
次回Vol.2では、彼の持ち物から分かる、彼のもう一つのコンセプト「政略眼」について述べよう。
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もし幕末史を舞台にマーケティングを学ぶなら、まずは「坂本竜馬」を知ることじゃな。好き嫌いはあるかも知れんが、プライム・ポイント(究極の一点)を見つけ出すに至る彼の思想遍歴や活動の足跡を辿れば、自分の戦略立案にとても役に立つじゃろうな。そこから佐幕派の主要人物や、もう少し時代を遡って、大塩平八郎などで検証してみるのも、これまた良いじゃろうて。但し、あくまでも視点は「マーケティング」じゃよ。 「本当に竜馬は強かったのか?」といった三流歴史雑誌の企画のような視点は捨てることじゃ! |
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[日記・コラム・つぶやき]
ブランディングは持ち物で決まる!
[坂本竜馬の場合 Vol.2]
Branding is decided by the property.
[A case of Ryouma Sakamoto Vol.2]
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先日のつづき。
「持ち物」から分かる坂本竜馬という人物のブランドについて検証している。
彼の持ち物観を示すエピソードから3つのブランドコンセプトが見て取れる。
1つ、不殺。
2つ、目的重点主義。
さて、今日は3つ目の政略眼である。
彼の政略眼については、当時の倒幕派志士の活動内容や思想をつぶさに見てみないと、その凄さを理解することはできない。そこで、幕末を代表する志士グループ、幕府機関、思想家などのイデオロギーや活動理念をポジションマッピングしてみた。それを基本に竜馬の政略眼について見てみよう!
精密に分析すればもっと細かいマップになるのだが、ここでは坂本竜馬の政略眼について論じる事が目的なので、かなり大ざっぱなマップである。
縦軸に「開国主義」「攘夷(鎖国維持)主義」をとり、横軸に「佐幕主義」「倒幕主義」をとった。幕末史における思潮変遷はとても頻繁で複雑である。1年単位で、いや数ヶ月単位のマップを作らないと幕末思想史を正確に把握する事はできないが、歴史学の詮索を目的としない本講座では、この概括的な1枚のマップで考え進めていく。
マップが示すように、いわゆる倒幕派の志士たちは、元々、攘夷思想家であった。薩摩系も長州系も、そして坂本竜馬が属する土佐系の志士も、いわゆる志士といわれた若者たちは、すべて「夷(えびす)を攘(うちはら)え!」という考え方であった。子どものように純粋な神州思想から出た排斥運動である。いわば宗教的な観念論で政治思想を織りなしているのである。従って、外国の武力の脅威に屈して、条約を結んだ幕府を批判した。当初は、宗教論から出た侮幕運動(幕府を侮蔑する運動)であった。ところが、井伊直弼による安政の大獄、新撰組ら幕府機関による志士の弾圧などもあって、狂信的な感情論を伴って侮蔑運動が討幕運動へと変質していく。その間、薩摩藩は英国艦隊との戦いに敗れたことで攘夷思想の愚を悟って欧米の文明力を認め、その薩摩との親交を深め始めた長州も高杉晋作ら急進派の改革主義者の手によって西洋式の近代軍隊を持つに至る。幕府が犯罪者の捕縛・処刑に必死になっている間、宗教的観念論を隠れ蓑にして薩長は急激に西洋化していき、倒幕に必要な物理的・経済的・人的な武力を蓄えていったのである。
坂本竜馬も、当初は犬猿の仲であった薩長の同盟を仲介したり、長崎の亀山の地に武器販売と交易をなりわいとする日本初となる株式会社を設立している。
彼の事歴・業績を編年風に思い起こすと、坂本竜馬はやはり倒幕派志士の巨魁であったと認識されざるをえない。事実、彼と親交のあった一部の知識人を除いて、ほとんどの幕府首脳は彼をそのように見ていたし、京都見廻組の佐々木只三郎に坂本の暗殺を指示したのも当然と言えば当然である。しかし、一方で、今でも竜馬暗殺の黒幕は薩摩か長州かと取り沙汰されるのは、彼の思想・行動が「幕府側か倒幕側か」と一筋縄で説明できない点であり、こういったどっちつかずの誤解を受けるのは、幕末志士中、彼一人である。きわめて「個独な存在」であったと言える。誰も思いつかないことを考え、行動に移す。個独は孤独でもある。だから、私は彼こそ幕末史における最大のブランド人であったと思うのだ。
さて、右か左か、善か悪か。そういった二元論で彼をとらえることは非常に難しい。幕末史を「過ぎしこと」として認識できる我々でさえ難しいのである。彼と同じ時代を生きた人々はさらに困惑したことであろう。 上記のポジショニングマップもそういった二元論を2つ組み合わせた4つの指標によって構成されているが、ここにZ軸を加えて三次元的にとらえなおす事によって、彼の特異性・ブランドコアがより鮮明に理解できる。 「視野が国家政略的か、自家保存的か」というZ軸を与えることによって、先ほどの二次元的なマップを三次元で理解することができる。 例えば、小栗忠順などを代表とする幕閣首脳陣の視野は、あくまで「幕府の保全」である。その視野で、彼らは各種戦略を立てている。その点、幕府とは敵対する立場である薩長系志士も、それぞれが属する藩の武力を背景にしており、徳川幕府瓦解のあかつきには薩長による天下号令を目論んでいた。つまり、あくまで自家保全の視野からは脱却していない。 その点、坂本竜馬だけが違う。竜馬に薫陶を与えた横井小楠と勝海舟はそもそも言うに及ばず。両者とも、幕府の重職にあって、倒幕派にも示唆を与え、幕府内でもその他の固陋頑迷な自家保全主義者を説いてまわっている。その主張は、あくまで「欧米列強に負けない経済大国・文化大国・文明大国、日本」の創造であり、欧米列強に蚕食されてしまっているアジア諸国を応援するためにアジアに共栄圏を作って欧米列強をはじき返そう! という壮大なものである。その為には一時的に開国して欧米の文明を盗み取ろうという開国論を唱える。つまり、「長期的・将来的・アジア国際的な攘夷実行のための、一時的・短期的・打算的・方便的な開国主義」を唱えたのである。この主張を、志士・活動家・事業家としてカタチに表したのが竜馬である。 彼の古巣である土佐勤王党をはじめ薩長系の志士のうち、彼のような政略眼を持っていた人物はいないとされている。わずかに共通点を求めるとすれば、彼と一緒に凶刃に倒れた中岡慎太郎のみであろう。(それでも、竜馬のような世界主義的、近代民主主義的、ボーダレスな感覚は持てなかったようだ。死ぬ間際まで、「戦の一字あるのみ!」と幕府の武力討伐を主唱する薩摩と思いを一つにしていたようだ。その点が竜馬との決定的な違いである) こうやって三次元的に見てみると、あの当時活躍していた志士のなかで坂本竜馬のみが、大局的な政略眼を有していたと言える。このことは二次元的な指標では読み解けないのである。 つまり、誰も思いつかないようなことを考え・実行した英雄のブランドコアを理解するには、やはり同じように、誰にも見つけることができないような「隠された指標」を発見するしかないのである。 このことから自分が歴史に名を残す英雄になるための方法が、また導き出されるのである。 常識的な指標による二次元的理解のなかでは「個独」である必要はない。二次元以上の多次元的な指標のなかで飛び抜けた個性を有していれば良いのである。 以下余談。 上記の三次元マップのなかで、幕府総帥の地位にある15代将軍・徳川慶喜のみ一種独特の位置にある。幕府保全のために全身全霊を傾けても良いはずの人物なのだが、自分の家臣である閣僚たちよりも「国家政略的な視野」が強い。右にわずかしか傾いていないということは、左への傾斜のせいである。それはこのように説明できる。 彼は将軍ながら、みずから政権を朝廷に返還し、将軍の称号を名乗るのをやめ、徳川家という一大名の地位に落ちることを選んだ。情勢はどのようになっているのか、全体のために何を犠牲にするべきかということを大局的に判断したのである。だから、徳川慶喜が大政奉還を決断したというニュースを聞いて、竜馬は「よくも断じ給えるものかな!」と感涙を流したのである。竜馬にすれば、「大政奉還を企画した自分と、それを採択した徳川慶喜こそが、天下の英雄たりうる!」という武者震い、そして歴史的瞬間の創造主たりえたことへの充足感、無辜の民を戦乱に巻き込むことを未然に防げた事への安堵感・・・。色々な感情が余っての涙だったろう。「政略的な見地に立って、日本国家全体のことを憂いているのは、このオレと徳川さんだけだ!」という気持ちの表れだったのだろう。 追記:今日ここで論じることができなかった新撰組や吉田松陰、そして勝海舟や薩長系の各志士のブランドコアについては近いうちにまた取り上げる事にします。
[用語解説:個独とは]--------------------------------------
「個性的」「独自的」「独尊的」からとった私の造語である。セルフブランディングの目的の最高峰は「オンリーワンの独自性を作ること」である。例えば、68,000人いるとされる税理士の業界で、「オンリーワンの税理士になる」ということは、「1/68,000になること」と理解しがちである。しかし、税理士業界という業界定義や業界と他業界とを線引きしてきた枠組みがほころび始めている昨今、「その業界でオンリーワンになる」という目的そのものに無理がある。そこで、誰とも一切かぶらない「個性的」で「独自的」「独尊的」な業態概念そのものをクリエイトして、その業界の唯一絶対の主(あるじ)になることを目的とすべきである。そうすれば、自然とオンリーワンであろうし、それまで類似していると思われてきたライバルとの差別化もできているはずである。これを「個独化」と呼び、これを実現している人のことを、敬意を込めて「個独なひと」と私は呼ぶ。
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つねに自分の事業を多次元的に見直すことじゃ!
金儲け。名声・・・。確かに、そういったことも物事を成すには大きな力となる。ワシとて、例外じゃないわい! お金や名声に対するハングリーさは、成功には必要不可欠じゃ。ただし、じゃ。短期的成功には不可欠というだけのこと、じゃ。
長期的成功・・・。例えば、そう、歴史に名を残したい、子々孫々にまで自分の価値観を伝えたい、教育のあり方に一石を投じたい、戦争のない世の中にしたい・・・。そういった気宇壮大な志を持った「真の志士」は短期的成功そのものには目もくれないものじゃ。しかし、長期的成功への「やむにやまれぬ想い(志)」があるからこそ、その途上にある短期的目標を達成できてしまうのじゃ。そのことを志士は知っておる。だから、求めずとも自然と金も儲かり、名声も得られるのじゃ。竜馬が死ぬまで金に困らなかったのは、富豪の次男坊として生まれたからではない。他の誰もが持たないような大志を持ち、それを人生というキャンバスの上で明確に表現しきったからじゃ!
う~ん、今日は少しリキがはいってしもうたかの~
■今日の講義に関連するブログ■
●坂本竜馬の時勢観
●坂本竜馬の下で仕事がしたい。
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[日記・コラム・つぶやき]
憧れるのも能力がいる!Vol.1
さかもと教授がお休みの間、助手の私が補講を担当しま~す。主に、セルフブランディングの実践メソッドを紹介していきます

日本テレビの深夜番組「松紳」で以前、島田紳助がこんなことを言っていた。
「人間が人間に生まれ変わる時、たいてい死んでから7日の間に裁定を受けて次はどんな人に生まれ変われるかが決まる。だから、自分の生まれた日から7日ほど前に死んだ人がもしかしたら自分の前世かも知れない」(要約)
「初七日」というのは仏教独自の発想だろうから、この話は文化・宗教・民族によって異なってしまうので、まあ方便(仏教でいうところ、の)だろうけども、これはこれで非常に示唆深い。(いや、しかし、キリスト教でも7という数字は深い意味があるな・・・。ま、いっか)
現在、ある美容サロンのオーナーさん・スタッフさんにセルフブランディング(自分自身をブランドに変えるアプローチ)をレクチャーさせてもらっている最中なのだが、その中で特に強く訴えているのが、「自分を信じきること」「憧れ尽くすこと」。セルフブランディングを実践するにおいては様々なアプローチがある。人それぞれのやり方があって当然いいのだけれども、あらゆるメソッドに共通して言える事は、「憧れる才能」である。
「憧れる」ということは誰でもできる。
しかし、(1)「~さんはスゴイなぁ!」 (2)「~さんみたいになりたいなぁ!」 (3)「~さんみたいになれる!」 (4)「~さんを超えられる!」 (5)「『~さんみたいになりたいなぁ』って言われたいなぁ!」と、憧れかたにも種類がある。
この中で、「憧れる才能」と呼べるのは(3)(4)(5)である。(1)(2)は「憧れ」ではなく「羨望」、“envy”というやつだ。
ところが、一般的にたいていの人は(1)(2)を「憧れ」と称している。その証拠に「憧れる人は?」と問われて、その人のことをあまり知らないというケースがとても多い。
「憧れ」の対象人物に関するありったけの情報収集と愛情持続がブランド人になる秘訣だと思う。
「~さんってカックイイなぁ・・・」と恍惚な表情で見とれていては何の足しにもならない。不遜なようでも、「あの人も自分も同じ人間! あの人にできて自分にできないワケがない!」と多少、自己陶酔の世界に浸ることが大切だ。
そして、実際にその人物について調べ尽くすことだ。「英雄ブランディング」を推奨するのもそのためだ。「受験のため」ではなく、「自分づくり用の素材集めのため」に日本史・世界史に通暁するべきである。とはいえ、手当たり次第に歴史小説を読んだところでウンチクが増えるだけのこと。眼目(ねらい)が無ければ、言葉の拾い集めでしかない。
そこで、冒頭の紳助の話を利用するのである。
これまで、「憧れること」の定義を間違って理解してきた人にはとっておきの「憧れ力強化法」がある。
以下にその手順を示しておこう。
(1)自分の生年月日の7日前に亡くなった有名人を調べる
(2)その人のプロフィールを読み込む
(3)自分の価値観にリンクするキーワードを探し当てる
「その人が自分の前世」であると信じるキッカケをあえて作り、
羨望する体質を憧れる体質に変化させていく。
(4)その人の業績やブランドポジションを調べ、自分の活動
内容や目標と重ねてみる。
「憧れる体質」、つまり、憧れるという精神作用が
感情から能力へと変質したら、より具体的なビジョ
ンを持つことである。
(5)アクションプランを作る
前項で掲げたビジョンと現状とのギャップを認識し、
目標達成のためのアクションプランを立てることだ。
(6)それをノートなどに書いて視覚化する
試しに本を読んで5ページ前を思い出してみればいい。
見事なほど思い出せない。人間の記憶力は心許ない。
しかし、気になった行にマーカーをひき、そこにメモを書
いてみる。見事なほど思い出せる! 視覚化したからだ!
どうだろう?
「憧れる」ということを、このようにメソッド(方程式)として理解すると、セルフブランディングがグッと近くなる。「~さんは良いなあぁ」という羨望が、「自分にだってできるさ!」という自信に変質しないだろうか?
いますぐにでも実践してみよう! で、気が向いたら実践経過をコメント欄に書き込んでみて下さい。「憧れる才能」を持った人たちが集まって、ブランディングのための「思いこみ前世人物研究会」などを催すことができたら何と素晴らしいことでしょう! そう思いません?
●こちらのサイトで有名人の没年を調べる事ができます
http://www.d4.dion.ne.jp/~warapon/data04/year/index.htm
近々、わたし増井の実践経過を報告いたします!
実はもう目が飛び出るような事実が判明しているんです! 私が生まれる7日前に亡くなった人物と、私の考え方の間に奇妙な一致が見られるんですよ。いまはその人物の前世を調べている最中です。
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皆さんのワンクリックで、「さかもと教授」の研究にも私の代講にも、ますます熱が籠もります。![]()
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[日記・コラム・つぶやき]
英雄・豪傑・女傑・賢人って
何人おんねん!
今後の講義方針や予定の発表も兼ねまして、助手の私が雑記を綴っていきま~す。
人によって「英雄」の定義は異なりますけども、いったい何人いるんでしょうね?
クラブの先輩が自分にとっての英雄ということもありますしね。でも、だいたい人間の生き様って世界的になんか共通するものがあると思うんですよ。統計を出すと、古今東西、人間の営みなんてずっと一緒だなぁって・・・。だから、「心に残る英雄像」も多分、同じようなものだと思います。
一度、皆さんの英雄像をアンケートしてみようと思いますので、その時はご協力下さい。いま、その統計データの活用法を模索しております。
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皆さんのワンクリックで、「さかもと教授」の研究にも私の代講にも、ますます熱が籠もります。![]()
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[日記・コラム・つぶやき]
始皇帝の失敗
模倣性・類似性を排したブランドづくり
A failure of The first emperor of China.
What is the branding that does not allow
the imitation and the similarity to invade?
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[一番手の法則(2) -秦の始皇帝-] で述べたように、秦の始皇帝は為政者というカテゴリーの中に、「皇帝」という新たなカテゴリーを創り出すことによって細分化し皇帝ブランドを独占することに成功した。
韓・趙・魏・楚・燕・斉の六国を滅ぼして「王」という概念を廃止したわけだが、それは同時に、「この皇帝とかいう新しい地位を築いたオッサンを倒しさえすれば、オレが中国全土の統一者になれるわけか・・・」という気づきを野心家たちに与えることになってしまった。
新しいブランドを構築するということは、ブランド構築のアプローチや手法から学び取る知恵を他人に授けることにもなる。容易に真似されたり、覆されたりすることのない強固なブランドを築かなければならないということだ。
もっとも、ブランド構築のアイデア合戦を繰り広げることによって消費者はより良い商品・サービスをより安く得る事ができるという利点もあるにはある。しかし、類似概念の商品が乱立することは、「安い方が良い」という安直な考え方を助長し、世間に「価格主義」が蔓延するきっかけにもなる。戦後の日本がその好例であろう。斬新な切り口の商品・サービスが登場したかと思えば、翌月にはまったく同じビジュアルの類似商品が市場に現れる。気づけば、1年後には斬新さがまったく損なわれた“one colored”な世界がベターッと広がっている。違いは価格だけである。(文末のさかもと教授のコメント★を参照)
やはり、真似されることのない「完全個独なブランド」を築き上げたいものだ。
さて、秦の始皇帝はいまだに皇帝ブランドを独占してはいるが、皮肉なことに、その後の中国で常態化した革命思想(「この皇帝を倒せば次の王朝はオレが樹立できるということだなっ!」という考え方)の萌芽を生み出したと言える。
そして実際に、その通りになった。
始皇帝としての威光を見せるために行った巡幸の際に、後に彼の帝国を滅ぼす二人の野心家は始皇帝を見て、このように呟いたとされている。
項羽 「彼取って代わるべきなり」
このオッサンに取って代わってやるぜ!
劉邦 「大丈夫、当に此の如くなるべきなり」
やっぱし、おめえ、男はこげんならんといけんなぁ!
劉邦は項羽との争いに勝ち、秦帝国に代わる帝国・漢の初代皇帝となった。
それにしても、始皇帝といい、劉邦といい、彼らが創ったものは今でも中国を代表している。
「秦の始皇帝」の秦は“China”の語源だし、漢は漢字・漢民族と中国の代名詞である。
一番手もしくはそのカテゴリーの代表者であることがいかに後世に強い影響を与えるかだ。
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「価格競争。それが商売というものだ!」と勘違いした商売人・起業家たちによってマネーゲームや価格競争が繰り広げられ、商道徳や価値主義が見失われ、心を打ち振るわせる本質が失われ、浮薄な金儲け論や唯物論が体勢を占めるようになる。その結果、商売が教える学問の尊さや親子関係のあり方などにも悪影響が出てくる。 いやすでに出てきているのじゃ! 手の施しようもないわい!! 鉄道事故も性犯罪もすべてその温床はセルフブランド力の低下であると言えるのぉ・・・。宗教家は信仰心の喪失であると言い、教育者は倫理の脆弱化であると言い、哲学家は思索の不足であると言う。それぞれ表現は違うが同じことを言っているのじゃよ。「自分は何者か?!」と自問自答する力が無いということじゃ。つまり、セルフブランドじゃな。 「セルフブランド」を「売れる商品の作り方・考え方」という風に定義してはならんぞ! 人としての根本のあり方、人生哲学への取り組み方と捉えて欲しいものじゃ! |
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[日記・コラム・つぶやき]
英雄は価値設計する
--- 坂本龍馬の場合
Hero designes a value. VOL.1
[A case of Ryouma Sakamoto]
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「いまは幕末だ」と言われて久しい。確かに個人の力がいまの時代ほど評価される時代はない。個人主義が台頭しはじめた幕末そっくりである。そして、それは坂本龍馬と彼をとりまく世界を見てみると、より鮮明になる。
坂本龍馬、27歳の頃。桜田門外で井伊直弼が暗殺され、それをキッカケにして盟友の武市半平太が土佐勤王党を立ち上げた。龍馬もそこに参加した。さしずめ、勉強もせずに留年しつづけた剣道一筋のスポーツ青年が、勤王家で有名な同郷の先輩が設立したベンチャー企業に入社したようなものである。その時、28歳。
しかし、その翌年には勤王党を脱退、土佐藩をも脱藩している。
「勤王ベンチャーって言っても、弁論と暗殺事業じゃ、
世のなか動かんぜよ! わしは船を手に入れて貿易
会社を興すんじゃ! ついでに幕府も倒すぜよ!」
武市半平太ら勤王ベンチャー経営者は、議論や弁舌で人を酔わせ、公卿などから資金を提供してもらって組織を運営していた。手がけている事業といえば、主に講演・セミナー事業。それと、敵対者を廃絶する暗殺事業。
確かに、「勤王」という事業カテゴリーはその当時、輝かしい響きを持っていた。「IT事業」というカテゴリーが誕生した時の世間の浮かれようとよく似ている。
しかし、多くのITベンチャー同様、実の伴わない虚業だった。
龍馬は実業の道を独りで歩く事を決意して、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった勤王ベンチャーを退職した。そのまま残っていれば、副社長になれたにも関わらず・・・。
虚業と実業の違い。それは非常にシンプルである。
虚業は、価値を生産しない。勤王主義は確かに、時代の風穴を開けた一大ムーブメントであった。しかし、土佐勤王党をはじめとする各地の勤王ベンチャーは、「幕府を倒して天皇さんの世の中になると、我々の暮らしはこうなる。民衆の苦しみはこんなにも無くなる!」といった価値の約束を行わなかった。
価値提案を行わない事業はすべて虚業である。
その一方、龍馬は遅咲きながら、価値設計から始めた。
勤王イズムに乗せられた志士たちが、外国人への嫌悪感や、外国に屈した政府への反感から、ベンチャー企業を興したのとは大きく異なり、龍馬は以下のように価値設計した。
お隣の中国政府は欧米列強の言いなりになって、国内の革命家を殺す為に武器弾薬を外国から購入した。その代金として治外法権や不平等な条約締結を強いられ、いまや国を奪われている。日本はそうならないように、お殿様も下級武士も商人も百姓も、一枚岩になって国を守るべきだ。ある者は金儲けによって身を立て、ある者は政治を行い、ある者は銃をとり、ある者は軍隊を指揮する役割をそれぞれがまっとうできるようにせにゃならん。その為には身分制度が邪魔じゃ。身分制度を守ろうとする頑固な幕府は倒すべきだ。しかし、幕府を倒すにも力がいる。その力は、本来憎むべき諸外国が持っている。だったら、あいつらを追い出すよりも、対等につき合って、彼らの力(文明)を学んで盗んでやればいい。対等の交際をするには、商売じゃ。交易じゃ。弁論や刀じゃ何も解決にはならん。だから、わしは船が欲しい。英語も勉強したい。薩長にも仲良くしてもらわにゃいかん。できれば戦争ナシで幕府も無くなってもらいたい。とりあえずは、幕府の海軍奉行・勝海舟先生あたりとお付き合いさせてもらおうか・・・
こうやって龍馬は事業のアクションプランを決めていった。龍馬が設立した亀山社中(後、海援隊)には、交易・海運・操船技術の指導・教育啓蒙・出版という事業があった。
一方、勤王志士たちは「外国人憎し・政府弱し」の薄っぺらい価値観で起業している。「あわよくば身分の高い階級になりたい」という自己満足主義の者もいた。だから、倒幕ストーリーが描けない。価値設計をしていないから、事業設計ができない。商品戦略もない。単純に武力で敵を圧倒すれば良いという発想しか出てこない。だから、敵方の人数を減らす暗殺事業しかやることがない。
勤王ベンチャーには商品やコンテンツがなかった。商品・コンテンツの役割は、「設計した価値の伝達・具現化」である。提案すべき価値がないのだから、どんな商品・コンテンツを扱うべきか分かるはずがない。
いまの言葉で言えば、「何でも屋」である。「とにかく金になることだったら何でもやる」という姿勢。「価格主義」「金儲け主義」とも言う。
実のない虚業の末路は古今東西、共通している。
短期的な成功と、その後のとてつもない転落である。
土佐勤王党は武市半平太と主要幹部の投獄・刑死によって消滅。土佐藩だけではない。いくつかの藩で、勤王ベンチャーは壊滅させられている。まるで、10数年前の土地バブル、数年前のITバブルと同じである。勤王バブルがはじけたのである。
しかし、その後にはホンモノが残る。
龍馬は、昔の仲間たちが虚業で得たきらびやかな、しかし短い成功の陰で、コツコツと価値設計を行った。そして、独立からわずか5年足らずで、その価値を伝達する商品作りと、人材・資金の確保に成功し、事業を興した。残念なことに、その事業がこれからという時に、彼自身は非業にたおれたが、彼が生み出した価値はその後の日本を変えた。そして、いまだにその価値は息づいている。
価値設計を経ていない事業は、時流に乗れば急速に成長して、時流が過ぎ去れば急速にしぼむ。
価値設計を経ている事業は、時流に乗ろうと乗るまいと、つねに着実に成長をつづける。人も育つ。金も残る。尊敬を受ける。時が経てば、当初の価値は役に立たなくなるが、新しい人材が新しい価値設計を行うから、事業のブランドそのものを損ねることがない。
龍馬が創り出した新国家の骨組みや、企業のあり方、経済の役割といったものは、つねにマイナーチェンジを繰り返しながらも、ど真ん中にある価値はいささかもブレてはいない。まさに、近代日本100年の大計であったと言える。
現金を掴む為だけなら虚業で充分。早い馬に乗れば良い。人格や礼儀とか人間関係とか、そんなものをかなぐり捨てて、鬼になって、金儲けすればいい。但し、誰にも尊敬されない老後を送るに違いない。
しかし、現金も掴んで社会革新を成し遂げ後世に感謝されるような事業を立ち上げたいのなら、何はともあれ、価値設計を行うことだ。まずはそこから、である。
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[日記・コラム・つぶやき]
伊達成実(しげざね)と毛虫
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戦国東北の雄、独眼竜・伊達政宗には、伊達成実という家臣がいた。
文武に優れた武将で、徳川家や上杉家からも仕官の誘いを受けるほど。奥羽を支配し、豊臣秀吉と徳川家康を恐れさせた伊達家の躍進は、伊達政宗自身の英雄性もさることながら、成実の勇猛さあってこそと言っていい。
英雄はたいてい己の生き様を何らかのシンボルで表現している。それを詩で表すこともあれば、日常の何気ない会話の中で表すこともある。宮本武蔵のように剣を極める道のあり方で表すこともある。伊達政宗などは片目で天下を睥睨する、その不敵さを自ら誇りにしていたようだし、事実、家康でさえそんな政宗を畏れ、豊臣家を滅ぼす前後から懐柔しはじめている。政宗はまさにその戦略眼・先見性・反骨性・反社会性を自らの片目に託して「独眼竜」を私称し、後世の我々は政宗のセルフブランディング通りに、彼を独眼竜と称している。
さて、政宗の家臣、伊達成実もセルフブランディングしている。戦への積極性、主君・政宗への忠義、戦場での姿勢をある物体に仮託して、おのれのブランドシンボルとした。
兜の前立てを毛虫にしたのである。
そのこころは?!
決してひきさがらない!!!
彼の生涯はまさに毛虫のように前進一途であった。
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自分の価値観を象徴するシンボルを考えてみよう! 言葉でも良いし、手書きの図案でも、グラフィックデザインでも何でもいい。 自分のブランドシンボルを見つけだすことができれば、セルフブランディングが飛躍的に楽しくなるぞ! 但し、「阪神タイガースが好きだから、虎!」というのではダメじゃ。「これが私の生きる道!」と宣言できるライフテーマに直結しておらんといかんのじゃ! |
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[日記・コラム・つぶやき]
光秀と家康のちがい
三日天下は左脳人、天下人は右脳人。
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結論から!
明智光秀は左脳の人、徳川家康は右脳の人である。
三日坊主のメカニズムを知れば、そのことが分かる。
「成功する1週間の過ごし方」バックナンバー(99)2005/04/25号より
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■ 三日坊主のメカニズム
ダイエット、日記、コレクション、試験勉強、信仰心・・・。
これら一般に、継続習慣を伴う活動が成功する場合は、すべて右脳に基づいていると言っていい。逆に、失敗する場合は、左脳による。
私にとって、メルマガやブログでの情報発信はビジネスとかプライベートといった区別なく、完全に「こうなりたい自分イメージ」の一部として取り込まれている。従って、苦痛ではない。自社のために練る事業企画も、他社のために案ずるプロジェクトも、それこそ自他の別なく、楽しいアクティビティだ。
右脳の「気持ちよくなりたい」という欲求が、当事者意識というカタチで表面化していると言っていい。だから、習慣化する。体がそのように動く。息をするのと同じ感覚だ。
だから、「~なりたい」「そうすると気持ちいい」という感覚を持っていない計画・プランがすべて三日坊主で終わる。三日坊主は左脳と右脳の使い方次第である。
左脳から右脳に移し替えさえすれば、目標は達成できるというメカニズムが分かったからである。
「継続は力なり」
この言葉は不充分である。言い得ていない。
「継続は右脳力なり」
勝手ながら、私はこのように改めさせて頂く!
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>>> 実践: 三日坊主撃退法
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1.自分にとって「できて当たり前・こんなこと出来る? 見て見て!」リストを作ろう!
2.それをやっているときは、心・顔・体がどんな状態か思い出そう!
3.「いままでできなかったこと・これから挑戦したいこと」リストを書きだそう!
4.それをやっているときの、心・顔・体の状態を思い出そう!
5.4を2に置き換えて、もう一度、3のリストで挙げた目標に取り組もう!
6.これを3日以上は継続しよう!
7.できるだけ多くの人に公言しよう!
8.定期的に経過報告しよう!
9.「こういう成果が出た!」と自慢することを恥じないでいよう!
もしあなたが「他人の話を聞くことより自分の話がしたいだけ」の人ならともかく、少なくとも、「あなたの親切さを評価してくれる人が数人いる」なら、あなたの成果発表は自慢話ではなく、利他心にもとづく提案活動として歓迎されるはずですよ。だから、成果を自慢する
ことを躊躇しないようにしましょう!
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史実通りなら、明智光秀の天下取りへの構想はわずか1,2ヶ月の間に固まったものだ。主君・織田信長の配下でいることへの不安感や不満感、仏教勢力・足利義昭を中心とする織田家包囲網など、天下の情勢を見て、その結果、「敵は本能寺にあり!」となったものだろう。当然、天下人になった後の国造りのイメージや、天下人という人物イメージが固まっていなかったはずだ。
にわかに、織田信長から天下を簒奪する構想を思いついた。
まるで学生が明日のテストのために一夜漬けするのに似ている。誰でも経験があると思うが、一夜漬けでは、まさに一夜限りの恋、いやいや、一夜限りの記憶しか得ることはできない。テストが終わればすぐに忘れてしまう。
こういう記憶を左脳記憶という。
一方、右脳記憶とはどういうものか。
自転車の乗り方、車の運転の仕方、昔やっていたスポーツ、大好きな趣味・仕事に関する知識情報量といったものだ。
例えば、私は歴史が大好きだ。高校3年間、ひたすら司馬遼太郎を読んだ。「街道を行く」シリーズ以外の歴史小説はすべて読破した。本を買う小遣いが続かないから、読んでは古本屋に売りに行き、また読みたくなっては古本屋で買い戻すということをよくした。
31歳の現在、「龍馬がゆく」「坂の上の雲」など20回以上は通読している。
だから、完全に右脳記憶になっている。
一語一句間違わずに・・・とはいかないが、例えば、重要なシーンの情景描写をしながら1日かけて語ることはできる。琵琶でも弾ければ、辻に座って、平家物語ならぬ龍馬物語をやる自信はある。
司馬遼太郎の龍馬を初めて読んだのは15の時だから、いまや16年のキャリアである。
16年もの間、「龍馬が大好き! こんな男になりて~」と思い続けてきた。
「龍馬」というラベルのついた記憶の箱は、最初、左脳領域に置かれた。しかし、龍馬という偉人のイメージが脳内で固まるにつれて、徐々に右脳に移動していった。今では、完全に右脳に居座っている。忘れられるものではない。
これが習慣化のメカニズムである。「誰でも一つは得意なことがある」と言うが、このことを言っているのである。誰でも「これだけは誰にも負けない」と自信を持っているテーマがあるはずだ。おそらく、そのテーマに関する情報収集と情報発信の履歴は長いはずである。
右脳記憶になっているのだ。
徳川家康は天下を治めた。明智光秀の三日天下とは異なり、260年の泰平の基礎を作った。
それは、彼が右脳人だったことが幸いした。
彼は幼少の頃から人質生活をしてきた。金で主君を裏切る者、戦で恐れをなして逃散する者、個人的には魅力がないのに優れた家臣団を持つ武将など、さまざまなリーダー像を見てきて、それらをすべて止揚して、理想的な天下人イメージを作ってきた。一度作っては壊して、また作り直すという脳内スクラップ&ビルドを繰り返してきた。
そのキャリアのスタートは今川家に人質としてとられた8歳の頃からである。
彼が天下人になった証を1603年の征夷大将軍任官の時に求めるならば、なんと55年である。55年かけて、彼は天下人のイメージを育て続けたのである。
これが右脳記憶の力である。
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「成せば成る、成さねば成らぬ何ごとも・・・」と言うが、この言葉は間違っている。 左脳ではいくら努力しても「成す」ことはできない。 「成したいこと」を右脳に移動して初めて、努力が実る土台ができるのである。 |
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年表ブランディングのすすめ
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書店に行くと、自分史を書き込むタイプの日記帳が多い。私も何度か買って試したが、いまいち気持ちが乗らない。結局、書棚の隙間を埋めているだけである。
しかし、私の場合は、日記に、ブログやメルマガに書く内容をメモするというネタ帳の機能を持たせてからは、結構続いている。手帳や日記帳や仕事用のノートなどに雑然とではあるが・・・。面白い話を聞いてズボラをしてメモらなかったばかりに、メルマガでその話を書けないなんてことになると悔しくて仕方がない。
しかし、つい数年前までは、毎年毎年、挫折してきた。今年こそはと決意した元旦。翌日には友人とのドンチャン騒ぎにかまけて、日記帳を開かない。一日抜けると、思い出すのも億劫になるし、「いま現在」のリアルな感情を書くのが良いのに、「昨日は、え~と・・・」と思い出しながら書く日記ほどつまらないものはない。そうやって日記帳はわずか数日分書き込まれただけでうち捨てられてきた。
そう考えると、アウトプットせねばならない目的があるからインプットが継続する、という事が分かる。
この2,3年のブログブームもその法則に照らすとよく理解できる。
ブログは、元々、研究者が同僚のパソコンやデスクに貼っておくポストイットの代替物として開発されたらしい。重要な連絡事項をポストイットにメモして貼っておく。風で飛んでいくこともあろう。だったら、データベースとして蓄えていき、かつネットワークを利用して、他人からもブラウズすることができる仕組みを作れば良い! となったのだと聞いた事がある。
今や、主婦や学生までもが日記帳代わりにブログを活用する時代。
しかし、おそらく、毎日何千何百というブログが登場して、何千何百というブログが同時に消滅していっていることだろう。
媒体は変わろうとも、「アウトプットへの喜びがインプットを促す」という法則は不変だからだ。
そこで、だ。
「年表ブランディング」がオススメである。
歴史偉人の研究者になったつもりで、自分の年表を自分で作るのだ。
しかし、日記のように一人称で書いてはいけない。あくまで、研究者として客観的な文章で書くことである。そうやって自己をいったん突き放すことによって、文章表現に工夫をしたくなる。つまり、読み手を意識するようになるのだ。読み手を意識した文章は、独りよがりな日記とは異なり、継続する。
例えば、土佐日記の紀貫之や明治時代の文豪の日記などを思い出して欲しい。彼らはここまで自分の日記が世の中で読まれる事は想像していなかっただろうが、しかし、少なくとも、読み手を想定した文章にしている。
それに比べて、現代。
「自己を客観視して自己の存在意義を世間に問う」
「世間からの評価や信頼が継続の糧となる」
この法則が変わる事はないのだろう。
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戦国自衛隊に学ぶブランディング
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映画「戦国自衛隊」はまさに英雄ブランディング!
もし戦国時代にタイムスリップしたら、自分はどう行動するか?!
英雄ブランディングは、歴史上のあの英傑たちはどう決断し、どう行動したのか、をマーケティング・経営の視点から読み解いてみる。そして、自分のマインドと行動哲学にそこから得られたエッセンスを埋め込むアプローチのこと。
この映画に出てくる人物はみな英雄ブランディングを地で行っている。
「タイムスリップという現実には起こりえない設定の上でのことだから、登場人物が輝いて見える」
ただそれだけではない気がするのは私だけではないかも・・・。
誰しも(女性は無いかも知れないが)、
「戦国時代に生まれたら、誰になりたい?」
という会話を子どもの頃したことがあるはずだ!
戦国自衛隊の作者もそういう無邪気な経験をリアルに表現したのだろう。
英雄ブランディングというアプローチも、同じ。
「織田信長の家臣として生まれていたら、あの場面では自分はどう行動しただろう!?」
そんな幼稚な自問をしてみよう!
そこから行動するバネ、人生哲学の何らかの指標が生まれてくる。
そんな気持ちでこの映画を観てみるとますます面白い!
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歴史フィギュア雑感
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憧れるという精神作用にはある程度能力がいる、と思う。
ただ、能力と言っても、スキル(技能)ではない。
心の能力といって言いだろう。
要は、楽天家であるということだ。
「どうせオレなんて・・・」という後退的な精神では、
偉大な人物に自分をなぞらえるなんて不遜なことはできっこない。
言い方を変えれば、少し傲慢なバカであるくらいがちょうど良い。
毎日、こうやって維新の英傑のフィギュアを見ていると、
「オレでも何かできそう!」と思えるから不思議。
高杉君でもできたんだから、自分にできないワケがない。
そうやって自分を鼓舞している間、人は輝いて見えるらしい。
いや、本当に。脳科学的にも、そう言われているらしい・・・。
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[日記・コラム・つぶやき]
モーゼも結局、セルフブランディングの
重要性を説いたのではないのか?!
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Wikipedia によれば・・・
モーセ(ヘブライ語でモシェ Moshe)は、モーゼ、モイセイともいい、古代イスラエルの最大の預言者とされる人物。紀元前13世紀から紀元前12世紀頃の人物と推定されているが、実在の人物かどうかは明らかではない。
とあるが、オリジナル(原始)のユダヤ教やキリスト教が説く価値観を十分に理解していない我々日本人にとっては、モーゼは文学史上の登場人物であり、映画「十戒」がその触媒の役目を果たしたと言える。
ところで、宗教とはセルフブランディングの別の謂いだと、私はかねがね考えている。セルフブランディングの視点から捉えればすべての宗教に貫通する共通点を導き出せるのではないか、と考える。
例えば、モーゼの十戒。
第一 我は汝の主なる神なり。
我のほか何者をも神となすべからず。
第二 汝、神の名をみだりに呼ぶなかれ。
第三 汝、安息日を聖とすべきことを覚ゆべし。
第四 汝、父母を敬うべし。
第五 汝、殺すなかれ。
第六 汝、姦淫するなかれ。
第七 汝、盗むなかれ。
第八 汝、偽証するなかれ。
第九 汝、人の妻を望むなかれ。
第十 汝、人の持ち物をみだりに望むなかれ。
ちなみに、第2に「偶像崇拝をしてはならない」という項目を持ってくる説もあるが、実際、モーゼは偶像崇拝を禁じた。その点は、映画「十戒」に詳しい。
さて、幼い頃に映画を観て、モーゼの存在や十戒の意味を知った私は、かねてから、不思議に思っていたことがある。
神の名をみだりに呼ぶこと、偶像崇拝を禁じたユダヤ教。その形骸化を批判し、自分の心に正直に生きよと説いたキリストを開祖とするキリスト教。現代では、いずれも、神の名や偶像をみだりに重んじ、他の宗教を廃絶する。排他の極地。愛のかけらもない。原始のまっすぐで無骨な心性は失われている。
それゆえ、上記の十戒を、文字通り、「自分が信仰を捧げている●●教だけが絶対唯一正しい価値体系であって、それ以外は何としても排他せねばならない!」と解釈してしまう人が出てきても仕方がない。(実際、そのようなインチキ宗教家は山ほどいるし、宗教だけではない。ビジネスマンでもいる。博愛精神のかけらもなく、金と名声を追い求める自称ビジネスマンはいたるところにいる)
現代の宗教観・人生観をとりまく世界では目を覆いたくなるような現象が至るところで起こっているが、さて、上記の十戒に「セルフブランディング」という善悪・清濁をバランス良く併せのむことができるマーケティングの指標の一つを、ポンッと与えてやると、モーゼが民衆に説きたかった本質が浮き彫りになる!
すなはち・・・
第一 我は汝の主なる神なり。
我のほか何者をも神となすべからず。
「我」とはこの言葉をつぶやく、まさに自分自身である。
「汝」とは実はこれもまた「我」のことである。「鏡に映っ
た自分」のことである。我思うゆえに我あり。明鏡止水。
自分の心を水紋のない水鏡のようにして、自分自身を
映す。見るのは周りの反応ではない。己の心自身。
つまり、この戒は、「ヤハヴェ (Yahveh)のみを信仰せ
よ」と説いているのではなく、自分を信じて自分自身を
信仰せよと説いている。(こう解釈することで、現代のユ
ダヤ教やキリスト教の一神論に基づく欺瞞や争いの根を
看破することができる。いつか分からないが、誰かが、故
意に、原始のユダヤ教・キリスト教に排他性を持たせた
のだ。政治的・経済的な目的のために・・・)
第二 汝、神の名をみだりに呼ぶなかれ。
前条で「自分自身を信仰対象とせよ!」と説いている。
既存の宗教の形骸化した神の名をお題目にして、他
人に自分の価値観の正当性を強要することの恐ろし
さについて警鐘を鳴らしているのである。信仰に身を
投じる人のほとんどが、「自分の信仰姿勢と信仰対象
はとても貴いから、あなたも信仰すべきだ!」と勧誘
する。本来、宗教とは自分だけのものである。十人の
組織には十様の信仰がある。つまり、自分である。
「信仰を大切しろ!」と他人に説きたいのであれば、
「自分を信じきれ!」と教えてやるだけで良い。自分
がモチーフとして信仰している●●教やその宗教が
象徴的に祭り上げているシンボルを信仰対象とすべ
きことを強要してはいけない。神の名をみだりに呼ん
だり、偶像を崇拝することは、セルフブランディング
とはまったく逆の精神作用である。
第三 汝、安息日を聖とすべきことを覚ゆべし。
前二条で、モーゼが一神論を説いたわけではないとい
うことが喝破できる。東洋思想と同じ。自己のなかに
万物普遍の真理を見いだし、それをこそ重んじ、信仰
せよと説いている。「自己内の、万物普遍の価値」を尊
ぶということは、すなはち、あらゆる万物に天性・神性
を見いだす姿勢へとつながる。つまり、感謝の気持ち、
いたわりの気持ち、与えたくなる本能である。日常、
我々は忙しい。自己を信仰する大切さは理解できても、
他人を自己と同じように愛することの大切さは、ともす
れば忘れがちである。それを思い出すために、安息日
を持てと説いたのである。しかし、日曜日とは誰も説い
ていない。自他のことを心から考えて上げられる心安
まる日を7日のうち1日ぐらいは持っても良いのではな
いか?というモーゼの提案である。しかし、これを日曜
日として定めた愚か者がいたのだ。そのお陰で、日曜
日は働かなくて良い日になり、次第に、社会のことなど
どうでもいい、とにかく自分の体が安まれば良い日へ
と形骸化した。本末転倒も甚だしい。働く日と働かなく
て良い日の区別意識は、自分と他人を区別する意識
を助長する。「自己も他人も等しく信じることが大切」と
する前二条の前提が崩れてしまうのである。ON,OFF
のスイッチ感覚を持ってはいけないのだ。
第四 汝、父母を敬うべし。
これも考え方一つである。この一条は「親孝行の大
切さ」を説いているのではない! 「父母というもの
はすべて貴いものだぞ」と説いているのである。自己
を信じ愛するということは両親を愛することになる。
自己と同じく他人も愛するということはその人の両親
を愛することになる。つまり、万物の生命の源を愛す
る博愛精神へと発展するのである。
この四条の本質を理解できれば、五条以降の戒めがスムーズに入ってくる。
第五 汝、殺すなかれ。
第六 汝、姦淫するなかれ。
第七 汝、盗むなかれ。
第八 汝、偽証するなかれ。
第九 汝、人の妻を望むなかれ。
第十 汝、人の持ち物をみだりに望むなかれ。
ブランディングの大原則は、「自分を愛しきり、信じきれる自己の陶冶」である。いくら、高い志を持とうと、売れる商品を持っていようと、素晴らしい事業プランがあっても、潤沢な資金があっても、自分と他人を区別する壁を設けている人は、ブランディング挫折者である。マーケティング的にハンディキャップを負っていると言って良い。長い繁栄を味わうことはできない。
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しかし、英雄ブランディングのメソッドなら自己愛を取り戻すことができるのじゃ。 自分を愛せないなら、まずは自分が憧れる成功者をとことんまで愛しきり、その英雄・偉人の人生のなかから、自分との共通点を見つけ出せば良いのじゃよ! その小さな点に指を突っ込み、グリグリかき回し、徐々に大きな穴にしていく。その結果、その穴の向こうに、古今東西の英雄たちにひけをとらない魅力を持った自分の姿を見ることになるのじゃ! そのプロセスが英雄ブランディングによって得られるのじゃ! |
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[日記・コラム・つぶやき]
諸葛孔明も実践していた
英雄ブランディング
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諸葛孔明は言わずと知れた、三国志中の名軍師。
その存在を疑う説もある。また、数人の優れた賢人の逸話が、「諸葛孔明」という架空のキャラクターとして一つになったという説もあり、いまもってどの説を信じて良いのか分からない。
が!
そんなことはどうでも良い。
英雄ブランディングは、例えば、漫画の主人公に関しても実践できるセルフブランディングの方法であるから、実在していなくても良いのである。
要は、「その人物に、心底、憧れきり、実直に、模倣し、その人物の本質を自己の体内に捉えきり、それを止揚して、オリジナルな資質・才能・アイデア・性格を創造すること」が目的である。架空だろうと、実在だろうと、自分の教材になれば良い。歴史事実の詮索は、歴史学の諸先生方にお任せしておけば良い。
さて、「成功者はみな、例外なく、英雄ブランディングを実践していた!」というのが私の持論であり、英雄ブランディングというメソッドの初歩中の初歩なのだが、この有名な軍師・諸葛孔明においても、この持論を確認することができたので、紹介しておこう。
彼が襄陽という城市(まち)に住んでいた頃、おそらく、15歳前後の少年時代、数人の名士から学問を習っていた。ホウ徳、司馬キ、黄承彦(コウショウゲン)といった知名の士である。隋代に入って制令化した科挙のような任官制度は、三国志の頃はまだ無かったから、学問をして名を挙げることが任官の唯一の道である。
「どこそこの某は兵法に詳しいらしい。神童と言われていたらしい・・・」
などと噂が立てば、しめたもの。豪族や地方執政官が、「ぜひ、わが幕下に加わって欲しい」などと、使者を立ててくる。
さて、少年の諸葛孔明も、いずれは天下の王となる人物の軍師・宰相になりたい、と野心を燃やしていた。だから、お師匠さんたちの薦めなら誰でも会いに行った。
その中に、ホウ玖(キュウ)という隠士がいた。霊山に住まう世捨て人である。しかし、「六韜三略」をそらんじることができるという博学の人で、師匠の司馬キもかつて学んだことがあるという。
諸葛孔明は辞を低くして、教えを乞うたが、一年間、掃除や柴刈りしかさせてもらえなかった。がっかりして帰ろうと思ったが、あるエピソードを思い出して、忍耐を決意した。その結果、一年後のある日、三冊の書物を授かった。百日の間、その三冊を読みふけって、ボロボロになるほど研究に没頭した。ホウ玖が百日目にテストしてみると、その書物の内容に独自の考え方を加えた孔明の学識に舌を巻いたという。ホウ玖に別れを告げ、霊山を降りてから、孔明の威名は州一帯に轟いた。親友のホウ統とともに、「鳳雛」「臥龍」と並び称されるようになった。臥龍・諸葛孔明の噂を聞きつけた劉備が彼の草庵を三度訪ねた話は有名である。
さて、彼がホウ玖のもとを訪ねたとき、思い出したエピソードとは?
彼が生きていた時代を遡ること400年前。秦を倒して漢を建国した劉邦。その彼を補佐して建国の功労あった人のなかで特に有名なのは三名。
内治を監督することに優れていた蕭何(ショウカ)。
軍隊を指揮することに優れていた韓信(カンシン)。
政・戦略を立案することに優れていた張良(チョウリョウ)。
その張良が若い頃、小川にかかる橋を歩いていると老人とすれちがった。老人に道を譲ろうと立ち止まって頭を下げた。すると老人は足を跳ね上げて沓を川に落として、彼に向かって言った。
「オイ、若いの! ワシの沓を取ってこい!!」
張良はカチンと来たが、言われたとおりに取ってきた。
「よし、じゃぁ、履かせろ!」
さらにカチンと来たが、言われたとおりに履かせた。
「おまえは見所がある。良いことを教えてやるから五日後の明け方に来い」
五日後の明け方、来てみると、もう老人が来ていた。
「老人を待たせるとは! 五日後の明け方に出直してこい!」
その五日後、今度は夜中のうちに約束の場所で待っていた。すると、明け方になって老人がやってきた。
「よしよし。おまえにこの書を授けよう。これを読めば王者の師となれるであろう」
そう言うと姿を消した。その時、張良が授かった書物は「太公兵法」。殷を倒し、周の建国を支えた太公望呂尚が書き記したとされている幻の兵法書である。
このエピソードは司馬遷の「史記」に書いてある。諸葛孔明も当然、読んでいただろう。
賢人の誉れ高い老人から物事を教わる時は、どんなに腹の立つことがあっても辛抱するのがよい。想像以上のご褒美が返ってくるということは、張良の例で分かる。
孔明が思い出したのはこのエピソードである。
中国史上最大の帝国建国に功績のあった張良とそっくりのエピソードを持つ諸葛孔明。
諸葛孔明という人物を創作した文学者のこじつけか、それとも、実在した諸葛孔明本人による真実の挿話か。
それを問う必要はない。
なぜなら、「成功者は成功者を真似る」という普遍の法則性が確認できるからである。
孔明はまさしく、英雄ブランディングの実践者として実績を残した賢人である。
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成功への願望・野心というものは、金額などの数値で描ききれるものではない。もちろん、ある程度の指標にはなるだろう。現在地を確認する目盛り程度の役割は果たす。 しかし、「夢」は数値ではない。イメージである。 絵画的、もしくは、動画的なイメージ。生々しい音や匂いや触感をともなうイメージとして描けるものでないといけない。ビビッドな映像として脳裏に描けないものは夢ではない。目標でもない。ただの記号の羅列である。 「事業計画書の書き方」といったたぐいの本がたくさん出ているが、そのいずれも、イメージの描き方を教えてくれない。 「ギャップ分析」だの、「コアコンピタンス」だの、「社会的なニーズの所在」だのと、事業計画書の目次を構成する単語に関する説明は十分になされているが、「夢の描き方」については言及しない。 それもそのはずである。 夢の描き方など人から教わるものではない。ましてや本で教わるものではない。 要は、「憧れる」というわずか三文字の言葉が包含するダイナミックな概念体系が身に付いているかどうかである。 「あなたの人生のモチーフはだれ(なに)ですか?」 と問われて、具体的な挿話も交えて、その場で活き活きと表現できるかどうかである。相手に、「なるほど、ああいう人物になりたいのか!」と、絵画的・映像的なイメージを描いてもらえなくてはならない。 事業計画書を何度書いても理解してもらえない。銀行に事業を説明しても否定されるばかり。協力者から資金を引き揚げられてしまう・・・。 実は、「事業の計画を具体的な数値を上げて説明すること」そのものにはあまり大した意味はない。 その数値を裏打ちする、「明確で強烈な事業意欲とイメージ」を相手に伝えることができれば、プレゼンテーションは成功するのである。 |
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[日記・コラム・つぶやき]
礼儀で金は儲からんが
礼儀が無くては金が死ぬ!
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時々、決心が揺らぐ。
金儲けはしたい。しかし、幸か不幸か、金儲けをしたいという欲望の前に、歴史の素晴らしさを先に覚えてしまった。金儲けというものを意識しだしたのは正直、大学を出てからだ。一方、「歴史から学ぶ」という精神態度は中学生の頃からある。20年近い。
「こんな男になりたいなぁ・・・」
「コイツ、かっこいいこと言うじゃねーか!」
小説を読んでいても、大河ドラマを観ていても、漫画を読んでいても、仕事で出会った人と会話していても、まずそういうことに目がいく。
「この人、いくら稼いではるんやろか?」 ではなく、
「この人、男としてかっこええな。オレが女やったら惚れてたかも・・・」 となる。
いずれも自己顕示欲の一表現に過ぎないかも知れない。
しかし、前者は泡沫(うたかた)のように心許ない。政府や国際情勢に左右される。
その点、後者は揺るぎない。
坂本龍馬はいまだにカッコイイし、事業家の手本とされる。西郷どんもいまだに男の鑑である。源義経の騎兵運用眼はマーケティング戦略家にとって学ぶところが多いだろうし。
だから、やはり、ビジネスマンたるもの、金儲けの“how to”ではなく、人間的魅力を陶冶する“how to”に全力を注がねばならないと思う。「坂本龍馬はいくら稼いだのか」じゃなく、「どうやって人を動かし事業を構想し実践し業績を残し得たのか!?」だ。「稼いだ額」は、そのうちの一項目に過ぎない。
ところで、礼儀知らずなビジネスパースンが多い。
もちろん、未熟者の私ゆえ、礼状を出し忘れたり、お辞儀がやけに軽すぎたり・・・と、後悔することは毎日ある。それを棚上げするワケではないが、お話しにならない無礼さがビジネスの世界で横行している現状はやりきれない。
そういう人に限って、こちらにとっては「案の定」なのだが、金儲けの話にはご熱心である。ハナからその人がいくら稼いでいるかに興味がないのだが、仮にその金額が大きくても何ら驚くに値しない。
「無礼千万な人」というだけでマイナススタートだからである。いくら本人が「オレの年収はいくら、愛車はホニャララ」と誇ってみたところで、マイナスに変わりはない。
で、そういう人に限って、礼儀や哲学や人間関係や歴史をバカにする。
「それで食えるか? 稼げるか?」
と平気な顔である。
私が歴史好きだからかも知れないが、歴史をバカにする者は無礼で金儲け主義で表層的で狡猾で狭量でコンプレックスの塊のような人物が多い。中には確かに稼いでいる人がいる。身なりを見れば分かる。しかし、どこか下品だ。土着の関西弁で言えば、「ゲスイ」のだ。いくら積まれてもお近づきになりたくない。
逆に、歴史からも学ぶ姿勢を持っている人は人当たりが良くユーモアがあり温かく自律的で本質的で度量が大きく礼儀正しい。で、不思議なことに、こういう人のほうがお金持ちに見える。あまり稼げていなくて、身なりはそこそこでも、自然と上品な雰囲気がある。仲良くしたくなるし、協力したくなる。
親しくさせて頂いている女性経営者がいる。特に歴史に造詣が深いわけでもない。どちらかといえば、あまりご存じないようだ。しかし、人の話を真剣に聞く。知らないことは知らないと言い、はじめて聞いた話にいたく感動される。だから、こちらも気持ちよくなってドンドン話してしまう。結局、その人は得をしている。
徳は得である。
歴史への関心度と礼儀に何らかの関係性があるのなら科学的に例示したいが、そういうわけにもいかないので、感覚的な印象でしかないが、この法則はほぼ100%当たっている。
今でも強烈な印象で残っている人物がいる。そこそこ著名なマーケティングコンサルタントだ。本を数冊書いているらしい。読んだことは無いが・・・。その人に面と向かって言われた。
「要は、あなたがいくら稼げるかだよ。礼儀なんてどうでも良いんだよ。金儲けしたいんでしょう? だったら、私にいくらでコンサル依頼するの? まずそれを提示してからだよ。話は・・・」
確かに・・・。
礼儀さえ良ければ金が儲かるのなら、誰でも小笠原流の礼法、習う。
もっとも、礼儀と礼法では大きな違いはあるけども・・・。
あの人が言ったように、礼儀は金を運んできてはくれない。しかし、その人の身を輝かせる。身が輝いていると人が集まる。人が集まると事業が動き出す。成果が出る。金儲けの萌芽となる。仮に、そのプランがダメでも、他がある。人が集まる基となる、その人の礼儀正しさがあれば、無尽蔵に可能性が生まれる。
一方、礼儀が無いと、身が輝かない。能力ひとつで稼げたとしても、後が続かない。人が寄りつかない。人が寄りつかないと下品に見える。持ち金も腐って見える。
だから、どんなに著名で有能なコンサルタントか知らないが、その人は、全身「胡散臭さ」の塊だった。毎月これこれの収入がある、オンナが何人いる、と自慢しておられたが、1ミリたりとも羨ましくなかった。負け惜しみでも何でもない。仕事のスケールも、クライアントの規模も、収入も、現象面ではすべて負けていたが、少しも敗北感がない。「可哀想なひと」。それがその人と別れた時にこみ上げてきた感情だった。まあ、「礼儀知らず」の前に、収入や愛人の人数を誇る時点で、人間の底が浅い、デリカシー皆無の人物なのだが・・・。
あれでも数年は「先生業」で食えているのだから、楽な世界だなと思った。
ともかく・・・ 金儲けと礼儀の関係。
これは、英雄ブランディングの大きな執筆テーマとして、いずれ取り上げることにしよう。
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[日記・コラム・つぶやき]
歴史でおのれを磨く!
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今回のテーマにご関心のある方は、
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[日記・コラム・つぶやき]では、文字通り、日記を書くが、必ず「歴史」「リーダーシップ」「マーケティング」の視点に添った内容にする。いわゆる、何の目的もない特色もない言いたいことだけ言い散らすブロガーとは一線を画したい。だから、アバターも使わない、ハンドルネームも使わない。つねに本名でいく。但し、時々、「これは31歳の若輩が言う事じゃないな・・・」というときは、さかもと教授にお出まし願う。ま、手の内はバレとるが・・・。
このサイトのメインコンテンツは、言うまでもなく、「英雄ブランディング」のメソッドをビジネスの現場で、生活の現場で採り入れて頂くためのステップとして用意している5つのインデックスである。左のサイドバーに書いてあるとおりである。
しかし、このサイト構成、インデックス構成はもともと、書籍出版の企画書として誕生したものである。従って、本を書くつもりでこのサイトを更新していく。
メインコンテンツは週に1回程度のペースで更新していく。来週から、いよいよ、「英雄・偉人のブランディング秘策」を書き進めたいと思う。しかし、5つのインデックス構成だけでは表現しきれない「思い」にも光を与えてやりたいではないか。それを、[日記・・・・・]に書く。
さて・・・。
私の友人の何人かは、私を「歴史好き」と言う。また、「右寄り」とも言う。
しかし、もちろん右翼でも何でもない。黒塗りの街宣車には乗っていない(笑)。
単に、この国の歴史が誇らしいだけだ。
「天皇制賛成 or 反対」というが、そもそも、あれは制度なんかじゃない。連合国向けに「これは、わてら日本人には必要な制度でおまんねや。これを廃止せぇ、やなんて殺生な・・・」と説明するために使った方便に過ぎず、日本国内では堂々と、「制度にあらず。日本の伝統文化そのものである。日本人全体の血脈の象徴。世界に冠たる歴史を有した文化的な国家としての時間の象徴である! 若者よ、それを誇れ!」と言えば良い。
だから、日本の歴史が誇らしいということは、天皇制に何の疑問も持たない、あって当たり前のものだと理解するということだ。それが、友人には奇異に思えるのだろう。「右寄りだ」と言う。おかしな話である。
例えば、誰も意識して呼吸する者はいない。「1分に50回、せーの」とやってるわけじゃない。生まれつきの本能・機能として呼吸する。できて当たり前だ。天皇さんの話はこれと一緒だ。天皇制廃止論は、「呼吸をやめる」と宣言しているようなものだ。天皇制賛成論は、「オレ、こうやって呼吸してんだぜ!」といきがっているようなもんだ。双方不自然である。呼吸は黙っていても自然とするものである。
司馬遼太郎さんは、終戦を迎えて虚無的になった一瞬、「なんでこの国はこんな風になったのだろう」と思ったことから、歴史小説を書きはじめたのだという。
私は戦後生まれである。それどころか、戦後生まれの親の子だ。しかし、司馬さんが持った「哀しみ」に近いものは持っているつもりだ。司馬さんら戦中の人は、戦争というものを生身のわが目で目撃することによって、人生というものに目覚めたのだろう。
私は父親の影響で、幼い頃から歴史が好きだった。「こんな戦争を起こしてしまう国とは何なのだ」という強烈な疑問は持っていなかったが、日常的に歴史に触れていると、徐々に、同じような感情を持つに至る。
なぜなら、明らかに違うからだ!
三国志に登場する英傑と、現代の中国人。織田信長の時代の武人の潔さと、現代の日本人。
すべて一致しないのだ。
「なんで日本人ってこんな風になってもうたんやろ~」
戦争を経験しなくても、歴史そのものを学べば、自然と自分の国を誇らしくなり、一方で、情けなくなり、その結果、「オレもなんかやらなあかんな!」となる。
その効果を充分に発揮したのが、寺子屋である。戦国時代に寺子屋は無かった。なぜなら、毎日が戦場。生活が戦場である。歴史を学ぶ悠長な時間はない。生きるか死ぬかのせめぎ合いの中で、様々なことを学んでいくのである。
一方、江戸時代。泰平の世である。戦場を通して学ぶ体験ができない。
だから、教育に力を入れた。年端もいかぬ幼児に論語を聞かせる。武士のたしなみを教える。忠義を教える。人生を教える。
20歳にもなれば、立派に腹が切れる武士へと育つ。仁義を重んじる商人が育つ。求道に一生を捧げる工人が育つ。真心こめて作物を作る百姓が育つ。
寺子屋があってこそである。
さて、現代。
戦争を体験することも無ければ、寺子屋に通うこともない。
どうやって、「おのれを磨く」のか?
その方法の一つを提示することが、「英雄ブランディング」の命題である。
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[日記・コラム・つぶやき]
情報を足せない人=質問を引き出せない
人=集団に個が埋没している人
今しがた、タクシーのラジオから流れてきた台風のニュース。
AM局のDJと九州のとある村の公務員とのやりとりである。
DJ:●●の△△村の某さん、そちらの台風の状況はどうですか?
某:はい、すごい風です。
DJ:・・・・・。雨量はどんな感じですか?
某:はい、激しいです。
DJ:何時頃から降り始めたんですか?
某:3時です。
DJ:いま(17:30)もそれが続いてる、と?
某:はい。
DJ:被害の状況は?
某:いまのところ大丈夫です。
DJ:土砂崩れなどの被害は?
某:ですから、今のところは大丈夫です。警戒は必要ですけど。
DJ:・・・・・。(イラッとした様子で) 避難なさった方々の様子は?
某:はい、45世帯84名の者が小学校の体育館に避難しました。
DJ:・・・・・。分かりました。
市役所などに行くと、こういう、質問したことにしか答えない「YES・NO式」の公務員がいる。
質問の意図を読みとることができないから、すべて「YES・NO式」の問答に置き換えてしまう。「YES・NO式」では、情報を継ぎ足すことができないから、相手からそれ以上質問を引き出すことができない。その結果、相手にされなくなる。無視されるようになる。どんどん、コミュニケーションの輪から外れていき、存在しているのか、していないのか、分からない存在になっていく。集団の中に「個」が完全に埋没するのである。
すべての公務員がそうだとは言わないが、経験上、9割がこの式である。
無礼で無感動で無関心な公の精神のない、ただの「公共作業従事者」に税金を払っているのだと思うと、腹が立ってきて仕方がない。
公務員に「私」が要らないかといえば、それは大きな間違いである。
公僕ほど誠実で高潔な「私」が要求される役割はない。
「私」が要求されるのは、商売人やアーティストだけではない。
「公」とは無数の「私」の集まりであり、公共事業や公共サービスは、そういった無数の「私」が凝固したものであるべきである。
「滅私奉公」とは、「滅するべき私」が前提である。「私」を持たない者が「滅私」などできるわけがないし、ましてや、「公に奉る」ことなどできるわけがない。
セルフブランディングは、経営者・起業家・マーケティング、販促担当者に必須の項目だと思うが、「公」に尽くす「私」を持たない現代日本の公務員には、特に不可欠である。
公務員の方にも、是非、英雄ブランディングを実践して欲しい。
しかし、残念なことに、「私」を持たない人が、わざわざネットサーフィンして、「マーケティング」や「ブランディング」という言葉をサーチするはずも無いだろうから、結局、「私を持つべき!」という議論は、「私をすでに持っている人」の目にしか留まらないのだろう。
その矛盾に気づきながらも、このように書かざるを得ない。
それが、また私自身の「私」である。
(追記)
それにしても、上記の村役場の某。避難した村民を「84名の者」とは、何という言葉遣いだろう! ボキャブラリーがないのではない、心が無いのである。
「御社のシステムは今まで何社の販売実績がありますか?」と問われて、「はい。300社400人の者が使っています」なんて答え方したら、ビジネスマンどころか、人間としても「失格」の烙印を押される。
公務員は顧客を「者(もの)呼ばわり」しても許されるんだね~。
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[日記・コラム・つぶやき]
「公務員イジメ」?
選挙速報で、テレビ画面の上部に出る視聴者コメント紹介欄を真剣に読む。
「共産党、もっとがんばれ!」
→ とんでもない!
「日本はもう貧乏人の住める国では無くなった!」
→ 「貧乏人」と自己規定してしまっているようではね・・・。
「小泉続投で公務員イジメが激化する!」
→ 「公務員イジメ」ではなく、「国民イジメ公務員の排除」!
とはいえ、どの立候補者にも政党にも積極的に支持したくなる魅力を感じない。
まず、歴史教育を見直せ!
それであらゆる問題の土台を揺さぶることができる。
公務員の数が多いから財政難なのではなくて、日本から「公」という概念が薄れてきていることが大問題なんじゃないか!? その「薄れ」の始めがいつなのか。そんなこと、戦争を知らない世代でも分かること。あのとき。そう、あの裁判以降じゃないのか?
辛く長い闘争が始まるだろうけども、「日本人としての誇りを取り戻そう!」と誰かひと言でも良いから言って欲しい。どうせ100年以上経っても返せない国の負債問題よりも、いま現在、一般家庭の中から、若者の心から、起業家の理念から、「公」とか「国」といった概念が消えかかっている大問題に光を当てて欲しい。
坂本龍馬は「金儲けしたい」とは言わなんだぞ! 「国を変えたい」って、そればっかり言ってたぞ! だからといって貧乏してたか? 海援隊でけっこう儲けてたじゃないか? 借金しても、教育を忘れなかったぞ!
自称「革命家」の企業家さんは、まず日本の歴史を学び直すことから始めて欲しかった・・・。東大合格する知識とか、大金儲けする能力ってのは、「公心」とはまた別のところにあるんだということが、彼を見てるとよ~く分かる。
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[日記・コラム・つぶやき]
故郷をいくつ持てるか?
故郷として感じられるかどうか?
私は「多く」を持っている人間ではない。金も名声もまだない。おそらく陰ながら慕ってくれている美しい女性はたくさんいるに違いないが、いまだ目の前に現れてはくれない(笑)
しかし、唯一誇ることができるのは「故郷の多さ」である。
大阪生まれ大阪育ちだが、母の実家・隠岐が第一の故郷である。
第二は伊勢→三輪山→奈良・竹内峠→堺とつづく古代史ルートである。この私にとっての「故郷的な地域」の中には、父の生家が含まれているだけでなく、日本の神代の時代から2000年連綿と継続する「何らかの大切なもの」の象徴が多く含まれている。だから、私は日本人としての自分の「故郷」だと思っている。
第三は福岡の株式会社来島自動車の来島修自&規子夫妻。もう数年会っていないが、手前勝手に兄・姉と慕っている方々である。http://www.h5.dion.ne.jp/~e-nori2/index.htm
第四は長野県・小布施の株式会社永井工業の永井賢一社長である。永井さんとの出逢いは別のブログで紹介したことがある。http://keiei-manabiya.cocolog-nifty.com/blog/1_/index.html の最下部に掲載。
そして、第五はブランディングコンサルタント阪本啓一先生と奥様だ。先生の大ファンだった私はこのブログを立ち上げるに当たって、色々ご助言・ご協力を頂いた。
「仁者」という言葉があるが、おそらく阪本先生のような人のことを言うのだと思う。先生との出逢いは私にとっては奇跡に近く、先生のことを思うと身が震える。そんな先生の日記とメールマガジンで私のことを書いて下さった。こんなに「喜ぶ」という感情が気持ちいいのかと落涙しそうだ。
●阪本先生の日記 http://www.enpitu.ne.jp/usr/3002/diary.html
●メールマガジン「Marketing Surfin'」 http://www.mag2.com/m/0000000813.html
阪本先生との出逢い、様々なお話、ブランディングのことなど・・・。準備ができ次第、このブログで公開していこうと思う。お楽しみに!
ひとまず、昨日、阪本先生と奥様と一緒に観た夕日と富士山だけアップしておこう。
秒単位で移ろいゆく夕焼けの色。この微妙な加減が日本人の心性を古来作ってきたのだが、徐々にそれが失われている「空恐ろしさ」。阪本先生と、そんなテーマでお話をした。
景色全体が語る文脈、色合い、風合い、文化、精神・・・。
そういった「目に見えないもの」を感じ取る感性がビジネスマン、とりわけ、リーダーには必要なのだ。このことは先生のご著書の全般を貫通している大前提である。また、「歴史偉人のブランディング技術を自分の体内に採り入れる」という英雄ブランディングの前提もそこにある。
目に見えないものを感じ取る、信じきる感性なくして、歴史からなど学べるはずがないのだから。
さて、第六の故郷は靖国神社だ。今日、東京の仕事がすべて終わってから、行ってみた。鳥居をくぐって菊のご紋のある大きな門を見たとき、「我が家」という言葉が浮かんだ。遊就館を拝観している間、涙が止まらなかった。
そして、(7)会社、(8)自分が帰る家、(9)両親が現在住んでいる場所、(10)妻の実家。この4つを合わせれば、自分には10の故郷がある。
すでにこんなに多くのかけがえない故郷を持っている私は「持たざる者」かどうか?
こういう故郷を増やし、故郷との関わり合いに打ち震える感性を磨いていけば、金や名声など欲さずとも手に入る。そんな気がする。
金を出迎えに行ってはならない。金が迎えてくれる人間性を作る。それが真の成功者の歩みであるべきだろう。
ゆっくり、一歩ずつ一歩ずつ。むんずと大地を掴むような足取りで・・・。
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阪本啓一ファンって多いみたい!
[日記・コラム・つぶやき]
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ブランディングコンサルタントの阪本啓一先生の会社、Palmtree.incのサイトには、先生の日記ブログ「椰子の実日記」がある。(サイトのサイドメニュー「雑記帳」の下にある)
「ほんもの」志向で著名な第一線のコンサルタントが、日々どういったことを考えているのか、何を見て、どう感じているのかが如実に表現されている。「マーケターの視点はどうなっているのか」がシッカリ分かる。
最近流行の「セレブ系」、「お金を稼ごう系」、「起業テクニック系」、「哲学になっていない、ただの回顧録的な成功哲学系」の本を何十冊も読むよりは、この日記を読んでいるほうが「学び」「気づき」が多い。先生のメルマガ「Surfin'」とともに、オススメである。(メルマガも上記サイトから登録できる)
ところで、この日記で、今まで何度か、「英雄ブランディング」を紹介して頂いた。
最近では、
| 2005年10月06日(木) | 千と千尋の組織論 |
というタイトルで掲載して頂いた。
先生の日記にリンクを貼って頂くと、急激にアクセスが伸びる!
その大半がおそらく、阪本先生のブランディング講座などを受講なさっている方々からのものだと思うが、それ以外の、例えば私のような、一般の阪本ファンも多数含まれているはずだ。
「ほんもの」志向の方が世の中にはたくさんいるのだということが分かり、秘かな同郷意識が心に芽生えてくる。
私は私なりの方法、例えば、この英雄ブランディングというメソッドをもっと一般化して、「ほんもの」を目指す事業家・ビジネスパースンのお役に立ちたいと思う。
「ほんもの」になるには、「ほんもの」から学ぶしかない。先人が築いた「ほんもの」を土台に、守・破・離するしかない。
「ほんもの」を希求する人には「ほんもの」な人・ものが集まってくる。しかし、時に「うさんくさいもの」も寄ってきて、目がくらむことがある。
一方、「ほんもの」なんてどうでも良いと思っている人には、何も集まってこない。どころか、「にせもの」ばっかり集まってくる。
「ほんもの」を求めるエネルギーを惜しんではいけないと思う。
百人・百回の「にせもの」よりも、たった一人・一度の「ほんもの」と出逢う能力を磨くことが肝要だ。
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橋本弁護士!
歴史は年寄りの道楽じゃないぞ!
[日記・コラム・つぶやき]
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昨日の「たかじんのそこまで言って委員会」のパネラーとして、崔洋一さん、金美齢さん、三宅久之さんが出演していた。いずれもご年配の方である。一方、橋本弁護士も出演していた。こちらはまだお若い。
で、激論テーマは、「堀江・三木谷・村上三氏について」だった。
「日本の物づくり文化を理解できない彼らには賛同できない」とする金さん。「彼らが大金持ちになってもまったく羨ましくない」という三宅さん。
私もご年配の方々の意見にまったく賛成だったのだが、橋本弁護士がこのようなことを言った。(要約)
「彼らのやり方は確かに賛否両論あるでしょうが、彼らもやはり成功者。僕はインターネットが出てきた時に何も感じなかったが、彼らはそれをビジネスチャンスだと感じたわけでしょう? それはやはり自分にはない能力であって、それで大成功をおさめたワケだから羨ましく感じますよ。松下幸之助さんや井深さんに並ぶ事業家じゃないでしょうか? 時代が違うだけで・・・」
これに対して金さんや三宅さんらご年配グループは、こう切り返した。 「ああいう拝金主義の手合いはいつの時代もいますよ。私達が若い頃もたくさん出現して、消えていった。そのことを経験的に知っているから、いまさらあんなのが出てきても、羨ましく思わないんです」 これを観ていて、やはり思う。 金美齢さんたち年配者は、「拝金主義者は滅びる、ということを経験的に知っている」と言った。この理論から言えば、「経験していない若い人は知らなくても仕方がない」ということになる。 果たしてそうか? 若くてもそれを知る方法があるじゃないか?! 歴史である。歴史をしっかり勉強すれば良い。寺子屋で、「し、のたまわく~」と子どもに教えてやれば良い。20歳になる頃には、年寄り並の経験知(智恵)を身につけていることだろう。そういう若者に、「これ儲かりまっせ~」と誘いかけても一顧だにしないはずだ。そうやって、昭和の終戦まで、日本人は大人社会から教育されてきたのだ。 虚業と実業の区別がつく、松下幸之助とほりえもんの決定的な違いを直感できる。 そんな感性を身につけるには、二つ策がある。 (1)学校から歴史という教科をなくすべきだ。 矛盾するようだが、歴史という科目があるから、歴史を勉強したくなくなる。挨拶や身だしなみと同じくらいの日常性でもって、歴史を教育すべきである。歴史は躾の一環であるべきだ。 (2)ビジネスマンはすべからく歴史を学ぶべきだ。 新人研修で応用の効かない業界知識を詰め込むよりも、歴史を教えてやれ、と思う。経営者や経営幹部の研修で、四半期単位の売上報告をさせるよりも、歴史を教えてやれ。経営者同士、酒を飲むならば、行政への愚痴やせこい儲け話よりも、互いの歴史観を語り合え。そうしているうちに自然と実業家らしくなる。事業家らしくなる。 という信念で、英雄ブランディングというプロジェクトをやっている。 読者の皆さんも、是非、お試しあれ。
これに対して、橋本弁護士はまだ何か言いたげだったが、その後、話はそれた。
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自分に惚れる精神づくり
=英雄ブランディングの事始め
[日記・コラム・つぶやき]
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歴史偉人のマインドに自分をシンクロさせ、成功者の法則性を発見し、実践する
簡単に言えば、英雄ブランディングはそういうことだ。
しかし、「歴史の勉強が嫌い」という人は、歴史偉人のマインドを知ることができないから、自分の経営者資質やビジネスセンスを磨く訓練としての「歴史」というものを度外視する。大型書店に行けば、自己啓発コーナーに必ず東洋思想の欄があるが、正直言って、英雄ブランディングを実践している経営者・事業家を今まで見たことがほとんどない。
何度かご紹介している阪本啓一さんや、その他、何人かの尊敬する事業家を除いて、今まで相当数の事業家に出逢ったが、皆さん「歴史を参考にしている」止まりである。
歴史偉人の成功法則をそっくりそのまま自己内にインストールしている人は滅多にいない。
仲良くお付き合いしている経営者や友人に、しばしば英雄ブランディングの効果についてお話しするのだが、なかなか真剣に取り合ってもらえない。
理由を尋ねてみると、やはり、「歴史が好きではない」だ。
そこで、提案。非常に幼稚な発想だが・・・。
歴史を勉強する前に、まずは歴史偉人を意識することから始めてみよう!
例えば、歴史偉人の身体的特徴・癖といったものに、自分を重ねてみるのだ。
坂本龍馬には背中一面に長い毛が生えていたという。(漫画「お~い龍馬」にそういうくだりがある)。私も背中一面に濃いめのうぶ毛が生えている。そのなかの一本は二の腕ほどの長さがある。(最近風呂上がりに発見した)
また、私は考え事をするときは必ず爪を噛む。徳川家康も爪を噛む癖があったという。
また、私は受け口で、「クッキングパパみたいだ」とからかわれたことがあり、どう修正してもジャニーズ系にはならないと思うが、近藤勇の肖像写真を観れば分かるように、武人というものは元来、「いかつい」ものだ。厳(いか)つさこそ美の顕れであると思っている。むしろ、もっと、「いかつくブサイクな面(つら)構え」にならないものかと、自分の容貌の中途半端さを恨めしく思っているくらいである。
また、私は学生時代のニキビを潰した痕がいっぱいあって、お世辞にも美しい肌ではないが、中国・明(みん)王朝を起こした朱元彰(しゅ・げん・しょう)は、見るも無惨なあばた顔だったという。
このように、歴史偉人と自分の共通点を、まずは外見的に認識してみると、歴史が好きになるかも知れない。
いくら歴史の知識が豊富でも、自分を好きになれない人は、歴史偉人から成功法則を抽出して、それにシンクロするという精神活動はできないだろう。
英雄ブランディングは、「世界で一番自分が好き」という状態を作ることから始まる。
自分が好きだから、人間社会を好きになれるし、相手の気持ちに立てるのである。与えることが快感に思えるようになり、素晴らしい人間関係を築く土台ができあがるのである。
見た目のまずさくらい、自分自身で愛しきってしまおう!
女性はなかなか難しいかも知れないが、それでも勇気を持って自分の容姿を正しく認識しよう!
芸能人やモデルと比較して評価するのではなく、成功した歴史偉人とどんな共通点があるのかという大きな視点を持つことだ。その自信こそが大切である。容姿の美醜など、内面から出てくる自信で何とでもなるものだ。
少し勇気のいることだが、世のため人のために、世界で一番自分を愛そう。
他人の恋愛ドラマよりも、自分に惚れる精神を養おう!
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増やすことよりも減らすこと。
人生の質を高める!
[日記・コラム・つぶやき]
細々とメールマガジンを書いている。

最初は、お客様やお取引先、友人などの名刺リスト300人ほどに、無料のメール同報システムを使って手作業で送っていた。(それ以前は、ニュースレターを郵送していた)
徐々に読者が増えるに従って、発行作業を自動化したくなった。同報システムでは、時々、不具合で送信エラーになったり、何通も同じマガジンが送られたりして、クレームがあったからだ。無料ソフトだからソフト会社もメンテナンスに応じてくれなかった。有料版は月数万円かかったので、さすがに手が出なかった。その結果、「まぐまぐ」に登録することにしたのが、2年半前。それから、何人かのメルマガ発行者と相互紹介したりしたが、読者増加のみを狙った相互紹介は気持ちいいものではなく、相互紹介を依頼することも、受け付けることもやめた。今でも相互紹介したい発行者はわずか5人ほどだ。だから、ほとんど目立った告知活動をしていない。それでも、何とか読者が1000人を少し越えるほどになった。
最初から、「誰でも読める気軽なコンテンツ」は嫌だった。「誰でも読める」ということは、「誰でも書ける」ということになる。それで大成功しても、すぐ誰かに抜かれると思ったし、誰もが食い付くようなテーマを、元来、自分の能力として持っていない。自然、私の視点や考え方にアンテナが引っかかって下さるコアな読者の方だけが読んで下さるものになった。もちろん、その上で、いま以上の読者数になることを望んではいる。自分の考えを外に向かって発信する活動を続ける以上、“more”を求めるのは当然だ。
しかし、毎週毎週、読者数を確認する。増えたり減ったり・・・。その動きに一喜一憂することがどうも性に合わない。「性に合わない」とはおかしな表現だが、いわゆる、短期的にスピーディな成功を収める商才に欠けているのだろう。
むしろ、トコトンまで読んで下さる読者の方が一人でもいれば、その方と交誼を深め、「何か心が豊かになるような、ゆくゆくは社会全体が良くなるような活動をしませんか?」などと、プランを温めていく関係性を築くためのキッカケになりさえすれば良いという程度の気持ちで、メルマガを書いている。
だから、敢えて、普通のメルマガ発行者が考えないことを考えている。
つまり、「読者減少を狙う」ということだ。
「多いこと・速いこと」は、私の人生観に合っていない。
「あの人と、ゆっくり、骨太に」
個性的で独自的な関係性を着々と作り上げることを求めたい。
本物のブランド人とは、百年単位で社会を利する価値を創り出す人のことを指すと考えているからでもある。「気の長い話ができる人間」でないと、本物の価値など創り出せないだろうと信じているからでもある。
「この商品、当たるでぇ~。どや? いっちょ乗らんか?」などという話に、私はまったく食指が動かない。ビジネスマンとしては頼りないかも知れない。しかし、そういう話に長けた人は世の中にたくさんいる。それはその人たちにお任せする。私は、やはり人が考えないことを追求したい。坂本龍馬のように170年経った後世でも、「あいつはどんな生き方しよったんや?」と学びのネタになるような人生を送る秘訣を究めることのほうが、私にとっては面白いし、欲深い事柄なのだ。それを追求しさえすれば、金やモノで困ることなどないだろうから・・・。
そういう志を込めて、Vol(118)2005/09/20号にて、メルマガを再定義してみた。
結果は、思っていたとおり。
数十名の登録解除と、読者登録を継続して下さった方々からの熱いメッセージ。
今週はこんなお手紙まで頂戴した。
旅先で拾った紅葉を数枚、お手紙全体に散らしてある。「粋(イキ)な計らい」などといった分析的な表現で片づけられるものではない。こんな形でご紹介すること自体が、不謹慎に思えてしまうほどの感動・・・。心がホッコリ、ジュワ~と暖かくなった。その感動をありありと表現する能力がないことが恨めしく思う。
メルマガ発行を薦める人のほとんどが、情報発信の喜びを、「収益性」や「自己実現」という言葉でまとめてしまう。もちろん、そういうコンテンツもあって良いし、ターゲットや目的に応じて、コンテンツを作り分けることは戦略として必須だ。
しかし、「価値観を共有する」という横のつながりを忘れてはならないと思う。他人と志操がつながることほど、喜びの大きいものはない。この喜びを味わってしまうと、そう簡単にやめられるものではない。
先日、零細企業の社長を始めたある友人が、こんなことを言った。「創業時に掲げた目標が意外と速く達成してしまった。次に掲げるべき目標が見つからない。どうしたらいいだろう?」と・・・。
その時、返答に窮してしまって、「もっと何かあるやろう?! 熱くなるものが。無いかえ?」と冗談っぽく切り返してしまった。
今度会ったら、こう言ってやろうと思う。
「感動させろ! 感動しろ! それだけで動機が生まれるさ! それですべてが説明できるさ!」
「収益」や「自己実現」はあくまで一過性のものだ。時の流れや環境に左右される。スクラップアンドビルドが必要になる。しかし、「関係性を喜ぶ」という動機だけは、時間や環境に左右されない。つまり、時代を超えて社会に残っていくということだ。歴史上の英雄が英雄たり得る秘訣は、ここにあるのかも知れない。
増やすことも時には大切だが、減らして質を高めることのほうが、より情感的で、豊かな人生を謳歌できる。もちろん、質・量ともに揃えば言うことはない。でも、それは人間の計画外のことだろう。天に愛されているかどうかだ。(そのテーマは少し深すぎる)
「少ない」「遅い」ことを嘆くなかれ! 問題は、「質」だ!
歴史は、高品質な人生を送った人物を学べる場である。
社会を利する質の高い価値を遺(のこ)す!
「仕事」の定義はその一事に尽きると思う。
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つながっている感もほどほどに?
[日記・コラム・つぶやき]
「つながっている感」もほどほどにしないと、プロジェクトがなかなか前に進まない。
(1)理論編:なぜ歴史偉人から学ぶのか? をスタートさせたいのだが、執筆が滞っている。
というのも、毎日毎日、「つながっているセンサー」の感度を上げて、本を読んだり、TVを観たりしていると、「これも書けるし、あれも書けるし・・・」となって、蜘蛛の巣状に理論がつながっていく。その度に、森羅万象が、英雄ブランディングの理論範ちゅう内で全部説明できる自信が湧き上がってくるのだが、理論の整理が追いつかない。原稿執筆の段になると、つながっている感が邪魔をする。
だから、いっそのこと、後々、補筆・改訂することを前提に勇気を持って書き進めることにした。
歴史とマーケティングのことを書けば良いわけではなく、脳科学や物理学や宗教など、あらゆる学問領域と関連する事柄なので、素人の私が、おいそれと書けるものではないと怖じ気づいていたが、私は学者じゃない。精確な研究成果を伝えることが仕事ではない。
私のコンテンツで、背中を押されたと実感して下さる読者がいれば、それで良い。
だから、研究“study”は、ぼちぼちにする。実践“practice”を尊ぶ!
“practice”は「練習」でもある。練習に失敗はつきもの。
一週間以内に、(1)理論編がスタートするので、乞うご期待!
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「時間と耳」に関する面白い話
[日記・コラム・つぶやき]
前回の理論編「人間と火と」に関して、面白い話を補足。
私のある知人はいつもストップウォッチを持ち歩いている。電車に乗った際、駅から駅の時間を計るためだという。「鉄道マニアですか?」と尋ねたら、「違う。体内時計の感覚を研ぐためだ」という。
電車に乗って手持ちぶさたな時、ストップウォッチ片手に、体内時計を鍛える。1分なら1分と定めて、頭の中で、「1,2,3,4,5・・・・57,58,59,60」と数える。体内時計とストップウォッチのズレを認識する。それを繰り返していると、時計を見なくても、ほぼ精確に時間を計ることができるのだという。
しかし、先日面白いことに気づいたらしい。
それまで、電車に乗って、4人掛けボックス席の後方に座っていた。つまり、進行方向に向かって座っていた。ある日、進行方向に背を向けて座り、この訓練をやると、数秒だけ体内時計がずれていたという。
「逆方向に向いているから、心理的な不安感が脈拍に影響して、それが体内時計を狂わしたのかも知れない」と、その知人は分析していたが、果たして?
例えば、ウォークマンを聴きながら、道を歩いていると事故に遭う可能性が飛躍的に高くなるという話がある。
人間は「空間」に関する情報は主に視覚から獲得する。大歓声を受けながらでも、フライボールを軽々と受けることができる。聴覚情報に影響されず、ものの距離感を計ることができるのである。
しかし、音楽を聞いていて自分の後方から近づいてくる車の音が聞こえない時、急に体のそばを通る車に驚くことがある。
聴覚は、空間を認識する上ではきわめて頼りないが、時間を認識する能力に優れている。後方の車が発する音から、距離を知る。つまり、あと何秒で車が自分を追い越すかを察知するのである。
だから、寝不足が続き体調不良になると急性難聴になる人が多い。寝不足ということは体内時計が狂っているということ。体内時計が狂うと、大脳の聴覚野に変調を来す。つまり、聞こえなくなるのである。
また、静寂の中に身を置いていると、シーンとかキーンという音が微かに聞こえるようになる。あれも、時間感覚の変化がもたらす幻聴であると言われている。
知人の電車内での実験もそのことに関係あるのではないかと思う。
進行方向に背を向けることで、聴覚野に届く音が普段とは異なる。その差が体内時計を狂わすのではないか? もちろん、勝手な私見であるが・・・。
私も、我を忘れて何かに打ち込んでいる時、つまり、時間の経過を忘れている時、たいてい、妻の話を聞いていない。後でこっぴどく叱られる(笑)。皆さんも経験あるだろう。
火が人間に時間という感覚をもたらした最大の功労者だと思うが、その代わり、人間は耳の能力が他の動物に比べてきわめて脆弱である。
他の動物を狩り尽くさないように、人間に施された欠陥なのかも知れない。
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シンボル、シンボル、シンボル!
[日記・コラム・つぶやき]
今年の大河ドラマ。司馬ファンにとっては嬉しい「功名が辻」。坂本龍馬ファンにも堪らないだろう。舞台は土佐。藩祖・山内一豊とその妻・千代の物語。
子どもを巻き込んだ犯罪(加害者・被害者を問わず)が増える暗い現代に、日本人の美徳を感覚的に取り戻すことができる「夫婦の素晴らしい姿」が映像として観られるということは、とても意義のあることだと思う。
土佐といえば、坂本龍馬がフィーチャーされてばかりで、藩祖・山内一豊の事などほとんどの人が知らない。もちろん、幕末時代の藩主・山内容堂が有名だから、山内姓ぐらいなら知っている人もあろうが、一豊がどんな一生を歩んだのか知らない人にとっては、果たしてなぜ、その妻・千代にスポットが当たるのか皆目見当もつかないだろう。
だから、おのずと、「最近のNHKの常套手段で、若年層の視聴者を掴むために視聴率クイーンとして名高い仲間由紀恵を起用したのだろう・・・」といった安易な思いこみが邪魔をして、あまり良い視聴率では無いらしい。昨年の義経や、一昨年の新撰組などは、歴史に興味が無い人でも名前ぐらいは聞いたことがあるし、おおよその話の筋は知っている。
私の妻でも、「いつの時代の人かハッキリは知らないけど、義経といえば、どっかの橋の上で弁慶とやり合ったんじゃなかったっけ?」てな塩梅(あんばい)である。
それに主役がジャニーズともなれば、普段、歴史など見向きもせぬ女子学生・OLが、日曜日の8時にはパジャマを着てテレビの前に座るという画(え)が容易に想像できるというものである。
その点、山内一豊はまったくの無名である。分が悪い。いくら有名な俳優を起用したところで、数字を取れる素材ではない。歴史好きにとっては残念だが、それが現実。仕方がない。
しかし、この「現実」にこそ、ブランディングの本質が眠っている。
数字を取れる歴史偉人と取れない偉人。その差は何か?
答えは、「その偉人特有のエピソード・言葉・小道具があるか?」ということである。つまり、シンボルを所有しているかどうかが有名・無名の分かれ目なのだ。
<例題1>
坂本龍馬と言えば、「寺田屋で暗殺」。では、織田信長といえば?
<解>
本能寺で明智光秀に攻められ自刃。(誰でも知ってる)
<例題2>
「敵は本能寺にあり」といえば明智光秀。では、「我が輩の辞書に不可能という文字はない」という言葉を言ったとされているのは?
<解>
ナポレオン!(う~ん、誰でも知ってる)
<例題3>
青龍偃月(えんげつ)刀と言えば三国志に出てくる関羽の武器。では、新撰組副長・土方歳三の愛用の刀といえば?
<解>
和泉守兼定!(少しカルトなクイズだけど、歴史好きなら知ってる!)
このように、有名人は独自のエピソード・言葉・道具というものを所有している。後世の我々の右脳の中に、「その偉人と関連アイテム」というセットものとして記憶を独占しているのである。
山内一豊のドラマが数字を取れないのは、この法則性からも頷けることなのである。
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知名度は万難を隠す、という。もちろん、有名ゆえにわずかなつまづきで大きく転ぶというリスクもある。どこかのIT社長のように。 しかし、何かで有名になることを目指すということは、成功を志す者にとっては必要欠くべからざる欲望である。人に知られなければ、自分の価値を世に問うことはできないワケじゃからして、「べつに有名になりたいわけじゃない」というのは謙虚でも何でもなく、まだ価値設計が不充分というだけのことじゃの。志が低いと言うて良いな。 もちろん、期待通り有名になれるかどうか、それは天のみぞ知るところじゃ。人事を尽くして天命を待つ! 人事とは、この場合、「他人が体験しえない事柄を自分だけが体験し、他人が持ち得ない道具や言葉を自分だけが所有する」ということじゃの。 それを、自分の日常の中でどれだけ実践できるか。 ブランディングは、「あなたは他人とはここがハッキリ明確に違っていますね」と指摘してもらえるレベルに達するということであると心得ておくが良いじゃろて・・・。 というような事が、歴史から学べるのである。英雄ブランディングとは、かくも頼もしいセオリーなのじゃよ!(自画自賛) |
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「命日」には何か法則性があるのかな?
[日記・コラム・つぶやき]
咸臨丸、アメリカを目指し出帆(1860)
1860年(安政7)のこの日(18日説あり)、内輪型汽帆船・咸臨丸が浦賀を出発。日米修好通商条約批准書交換のための出帆で、37 日後にサンフランシスコに到着した。5月5日に浦賀に帰港。この時、艦長として乗船した勝海舟は、奇しくも出航の日から39年後の 1899年(明治32)同日、77歳でこの世を去っている。(こちらの文章は「今日は何の日」サイトから抜粋しました)
多くの例で検証したことは無いので、単なる思いつきで書くのですが・・・。
坂本龍馬も確か、生まれた日(11月15日)に死んでいる。
命日には何か法則性があるのかな?
「英雄偉人と言われるほどの人の命日は、おおよそ、その人に関する印象的な出来事があった日に一致す」
一度調べてみる価値あり!
ところで、そんな法則とは別に、「自分は何月何日何曜日の何時頃、死ぬんだろう」って考えたことありません?
なんか、私の場合、土曜日のような気がするんですよね・・・。何となく、ですけど。
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そんなこと考えたことのある人も、無い人も。一度考えてみて下さい。何曜日だと思います? ついでに、ワンクリックお願いします!
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英雄ブランディング的
映画「ダヴィンチコード」の観かた
[日記・コラム・つぶやき]
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映画「ダヴィンチコード」を観てきた。一昨年、原作を読んで、「映画化してほしい!」と切望した傑作だけに期待が大きかった。そして、その期待に見事応えてくれた!
もっとも、この話は誰が演じても誰が撮っても成功する可能性が高いと思う。それほど、ストーリーが良い。
劇場で隣の席のカップルが、「アクションがどうの。あいつの役名がどうの」と議論していた。
映画の観かたは人それぞれで良いとは思うが、あの映画をそういう浅いところでしか観られない感性は気の毒だと思う。
それほどに深いテーマだ。
といっても、ヴァチカンが不買運動を扇動しているといった「対岸の火事的な宗教問題」として深いテーマだ、というのではない。
我々の生き方に関わる重大なテーマが横たわっていると言いたいのだ。
私は「多神論的無神論」者である。
平たく言えば、「我が内にこそ神あれ」という思想だ。
だから、キリストもブッダも孔子も「神」だとは思ったことがない。
あくまで人間として偉大な人物である。勉強の材料である。
歴史から人生のエッセンスを学び取るには、先人を神格化してはいけない。
同じ人間だからこそ学び取れるのであって、神として崇めてしまっては学び取れない。
神棚や仏壇に備えた供物をムシャムシャと食い荒らすことができないのと同じ理屈だ。
学ぶ対象が良いか悪いかではなく、自分の学び方が良いか悪いかだ。
だから、キリストは神ではない。自分の人生の教科書の一部であるべきだ。
そして、自分の学び方にこそ真実があるべきだ。どうしても神という言葉を使いたいのなら、自分の内にある真実を神と呼ぶべきだ。
誤った人生観で、誤った言葉を使い、誤った人と付きあい、誤った方法を行えば、自分の内なる神が悲鳴をあげる。
「この選択は間違っている!」と。
人間社会はそれをすぐ具象化する仕組みが内蔵されている。
選択を誤った人は社会からはじかれるようになっている。自然淘汰という作用によって、社会から排除されるように、はじめからなっているのだ。
歴史を学び教養を高めるのは、そのことを知るためだ。
つまり、私の持論からいけば、歴史を学ぶことが自分の内なる神に近づく最短の道なのだ。
(人を馬鹿にして金儲けに邁進することが成長と思ったら大間違いだ。事業家は学びながら稼ぐものである。学びを無視して稼ぐことに傾注しても得られるのは、現金と物質だけである。本当の豊かさこそ目に見えないのだ。目に見えないものは学ぶ姿勢の中で感じ取ることができるのだ)
そして、それはとりもなおさず、内なる神と対話し続けた勝利者に近づくことである。
それが彼ら、そう、キリストやブッダなのだ。
キリストやブッダは神ではなく、内なる神と対話し続けた偉人なのだ。
そして、ブランディングという作業は、この「内なる神との対話」に他ならない。
だから、「ブランディング・価値設計・人生の意味の模索」というテーマを念頭に置いて、この映画を観ると、深遠な世界が見えてくる。
そう考えると、主人公のラングドンが「紋章」「象徴」の権威というキャラクター設定も意味深だ。
ブランディングにおいて、「象徴」(シンボル)という概念がいかに重大かは誰しも知っているはずだ。
前回の記事にも書いたように、
「どんな言葉(or シンボル)を掲げるか?!」
ということである。
それを真剣に考えると、人生が大きく開ける!
だから、この映画だけはまず原作をしっかり読み込んで、自分の心の中にたくさんの思いを抱きつつ、劇場に向かうべきだろう。「話題作チェック」のノリでは行くべきではない。
ま、もっとも、どんな映画も作品の出来不出来が問題ではない。
観る側の意識・志によってクオリティが変わるのだ。
アカデミー受賞作を観ても成長しない人がいれば、逆に、誰も知らない駄作の中にも真実を発見する人はいるものだ。
真実は「向こう」にあるのではない。我が心の内にあるのだ。
X-FILEのキャッチフレーズ、
“The truth is out there” 「真実はそこにある!」では不充分である。
“The truth is right here!” 「真実はここにある!(胸を叩いて)」こそ正しい。
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大河ドラマ「功名が辻」から学ぶ
誰でもできる内助の功のススメ
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(写真は、NHK高知放送局のサイトのものを拝借して表示しています)
NHK大河ドラマ「功名が辻」では、侠(オトコ)として夫・山内一豊の株を上げようと内助の功を発揮する妻・千代の凛とした姿が描かれている。
夫婦そろって見ている我が家でも、山内家を題材にして、夫婦のあり方がしばしばディスカッションされる。
さて、山内一豊の出世物語は、「夫唱婦随。いや、婦唱夫随の物語だ」などと言われたりする。確かにその一面は色濃い。
しかし、もっと注目すべきは「ブランディング」のことである。
ブランディングの基本は家庭生活にある。
自社商品が市場で認知されるかどうかという事については一所懸命でも、家庭に帰れば、「ただの夫、ただの父」であるという人が多い。
仕事と私生活にON,OFFのスイッチ感覚を持っている人は、基本的には、マーケティング・ブランディングといった仕事に向いていない。
妻に自分の夢や価値観を理解して貰えないようでは、ブランド構築の仕事をしているなどと胸を張ることはできない。
わが子が他人から、「あなたのお父さんはどんな人?」と聞かれて、「う~ん。日曜日はいつも寝てる」などと答えている姿は誰でも想像したくないだろう。
もし、現段階ですでにそうなっている「旦那さん」「お父さん」は要注意!
いくら、あなたの職業と肩書きが評価を受けていようとも、「生身のあなた自身」を評価してくれている人はきわめて少ない。そういう人は定年後、とても寂しい人生を送らねばならない。
さて、ブランディングという仕事への適性は、生まれてから今までの家庭生活における考え方の尺度や価値観で決まる。
(1)親からまともな躾をしてもらっていない
(2)自分の人生は自分だけのものと考えている
(3)人生において何が大切かといった事を
家庭生活から学んだという実体験がない
(4)親が自分のことに関心を持ってくれなかった
(5)親は自分の人生観を理解してくれていないし、
自分も親のことを理解していない
(6)以上のことを、親になった今の自分が繰り返している
まず、こういう人はブランディングに向いていないし、携わるべきではない。というか、リーダーになってはいけない。
すでにリーダーの立場にあるのなら、仕事を改革するより、親との関係、妻子との関係を見直すべきだ。家庭改革のほうがよほど大切であるし、仕事への影響も大きい。
ご自身の努力によってこれらのハンディキャップを克服した人なら、ここに挙げた諸点がいかに大切かお分かり頂けるはずだ。
さて、最近、セルフブランディングが喧しく言われるようになってきた。脳力開発ブームも相俟って、自分発見・自分表現に関するセミナーが各地で行われている。それはそれでとても素晴らしいことだが、セルフブランディングという大テーマを「家庭改革」抜きに論じても、対症療法(付け焼き刃)で終わってしまうという落とし穴に気づいている人は少ない。
山内千代が夫・一豊をなぜあのように支えることができたか?
千代が明るいから? 良妻賢母だから? 大名の妻になるような人は生まれついてそういう人格を持っているもの?
もちろん、違う。
答えは、単純。
会話を怠らないから、だ。
夫の「一国一城の主になる!」という志を聞いた彼女は、一豊を幼少期から養い育てた老臣たちから、山内家の由来や先代の人柄や実績などを教えて貰い、徹底的に頭に入れた(当時の人はみなそうだっただろう)。
ドラマでも第5回あたりで、そういうシーンがある。
「吉兵衛どの。山内家の家紋のお話を忘れて
しまったので、また聞かせて下さいな」
そうやって、千代は「成功者の家庭のあり方」を愚直に実践したのだ。
内助の功を発揮できる人というのは、他人の喜びを自分の喜びと感じることができるという人格特性を持っているが、それとて先天的なものではない。自己教育の結果、身に付くのである。
千代の偉いところは、「自分がさほど賢くはない」と知っていたこと。これは、ドラマでもよく描けている。
千代は、小智恵の働くタイプではない。どちらかというと、愚鈍なほうである。全身全霊のまごころで物事を理解し、行動するタイプである。
だから、「私は阿呆ですから、何度も何度も聞かないと理解できませぬ」と言って、老人(おとな)から話を聞き、物事の本質を見抜く目を養っていったのだ。(だから、夫の浮気などすぐ見抜ける)
「うちのカカアはそんな殊勝なタイプじゃないな~」
と頭を掻いている男性諸氏に忠告!
千代とて、夢も志も語れないサラリーマン武士のもとに嫁いでいたら、並の嫁にしかならなかっただろう。
妻に「夫を支えたい」と思わせることができるかどうか。
それは、我々男が夢を語れるかどうかであることは言うまでもない。
環境が人を育てる。夫の志が女を妻にし母にしていく。
母が家庭環境を作る。その家庭環境で子が育つ。
家庭改革の基礎はこのサイクルを頭に叩き込むことだ。
そして、このサイクルの最初の端緒を握っているのは、我々男なのだ。
顧客に商品を売る前に、妻と子に夢を語れ!
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新しいアイデアは歴史から!
具象学・具現学のススメ!
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多分、誰もやっていないビジネスプランだと思うのでオープンにしたくないし、私だけの問題ではないからオープンにできないので、以下書くことがとてももどかしいのですが・・・。
新しいアイデアって、往々にして、昔、誰かがやったアイデアを複数組み合わせて出来あがる。
いや、往々にして、ではなく、例外なくすべて、と言えるかも。
つい先日も、「食」に関わる専門職の方と話していて、随分盛り上がった。
「昔●●した◎◎。あれを▲▲したら、まったく新しいですよね~」
「ホントだ~。そんなの見たことないですね~」
そういう会話から、アイデアが商品・事業へと結晶化していく。
後は、「社会性があるか=実際にそれで感謝してくれる人がどれだけいるか」、「収益性があるか」、「持続性があるか」を真剣に考えればいい。単純な消去法で、「できる、できない」、「できるけど、こんな問題がある」などと問題を細分化していって、一つずつ片づければ良い。
アイデアを思いつくのは意外と難しくない。
核となるキーワードの縦軸(時間軸)と横軸(社会軸)を可能な限り拡げていって、そこにさらに、自分の縦軸と横軸を掛け合わせてみると、複数のキーワードの組み合わせができる。それが事業アイデアの種になる。
縦軸を持つには歴史を勉強すればよく、横軸を持つには哲学を勉強すれば良い。
問題は、そのアイデアを実行するプロセスを設計できるかどうかである。
面白いアイデアでも、具現化・具象化するための手続きを経ないと、世の中に出すことはできない。
だから、「形に表す学問」、言うなれば、具象学・具現学というものを確立すべきだと思う。
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