歴史から学ぶ[プライベートブランド]の作り方

英雄・偉人のブランディング秘策

例えば、坂本龍馬のような事業家になれる方法?!


[4:現代編 英雄ブランディングな人たち]
 [4:現代編]のアウトライン
 

[4:現代編 英雄ブランディングな人たち] では、実際に、英雄ブランディングを実践している人を紹介する。

といっても、英雄ブランディングという概念自体が、私の創作である。出逢った人に、「英雄ブランディングとはこういう意味です。こういう体系のセルフブランディングのアプローチのことを言います」と説明して理解して貰った上で、「あ~。なるほど、そういうことね。それなら、私は普段、事業プランニングする時、こういう考え方をするよ。それが、君の言う英雄ブランディングに相当するのかも知れないね・・・」といった対話を経ないとならない。

インタビューと英雄ブランディングの啓蒙活動そのものが一体化しないと、この編を書くことができない。

果たして、第1回目すら書けるかどうか不安であるが、人との出逢いに、大きな意味を持たせるためにも、やる! と決意した。


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阪本啓一先生との出逢いから(1)
阪本啓一先生を知ったキッカケ
                   [4:現代編]

●ブランディングコンサルタント阪本啓一先生を知ったキッカケ

 3年ほど前だったか、「自分で自分のホームページくらい作れなくては・・・」と思って、少しだけHTMLを覚えた。晴れて、自分のサイトが出来上がった。自分が普段から考えていることなどを綴りはじめた。そんな時、知り合いの方からメールが届いた。

 「素晴らしい文章を見つけたので、是非読んでみて下さい」

 添付されていたWORDドキュメントを開いてみた。
 タイトルは、「『千と千尋』に日本の組織がみえる」

 どういうこっちゃ?と首をかしげながら、読んでみた。

 ふむふむ・・・スゴイ!


 確かに、この映画を観たとき、「何かとても重要なこと」を感じた。しかし、それが何なのかハッキリ分からなかった。
 この文章は、あの映画のキャラクターを通して、企業組織における「人と言葉の重み」を読み解いていた。

(そうそう! あの映画を観たときの感覚はこれだったんだ! この文章は本になっているのかな?)

 YAHOOの検索窓に、「『千と千尋』に日本の組織がみえる」と打ってみると、ヒットした。

gokan
「五感商品の創りかた スローなビジネスに帰れ2」(インプレス) 阪本啓一 著

 午前中にWORDの「千と千尋・・・」を読んで、昼休みに難波ジュンク堂でこの本を購入。ランチをほおばりながら読みふけり、さらに喫茶店に移動。ロイヤルミルクティー2杯で2時間ねばって読み終えたことを今でも覚えている。

 当時、マーケティングのマの字も理解していなかった私にとって、この本はマーケティング入門書となった。その感動をカタチに表したくなった。
 自分のホームページに、「名論卓説のコーナー」を作り、この「千と千尋・・・」の文章を掲載しようと思い立った。それには、著者ご本人の許可が当然いるだろう、ということで、Palmtree Inc.の掲示板で阪本先生宛の書き込みを入れた。それまで、本の著者にメールを書いたことなど無かったので、幾分緊張しつつ、断られることをなかば覚悟して・・・。


初めまして、増井雄一郎と申します。知人から「千と千尋の・・・」の文章を読ませてもらい感動しました。自分のホームページで転載したいのですが、宜しいでしょうか?

 という趣旨のことを書いた。許可して欲しいから、自分には他意のないことをくどいくらいに書いたと思う。

 これに対する先生の返事は何ともあっけないものだった。

わざわざご連絡頂いてありがとうございます。光栄です。どうぞご自由にお使い下さい。

 (へ? 本当に良いの?)

 結局、その後、そのホームページは半年ほどで閉めてしまったが、その時の感動が私に勇気と意欲をくれた。

 しっかりマーケティングを勉強して、阪本先生のように自分独自の「論」「主義」を持ったマーケター・経営者になろうと決意した。愚鈍な私は、いまだ発展途上で、阪本先生の足下にも及ばないが、何とか自分の「場」を見つけたと自負している。

 それが、この「英雄ブランディング」だ。

 すべては、あの文章を読んだときの衝撃と感動がキッカケである。
 だから、ここに再び転載しておこうと思う。あの時の感動の続きをしたいのだ。

sentochihiro_pdf
 (クリックするとPDFファイルが表示されます)

mr
(阪本先生の詳細はこちらのイラストをクリック!)


●次回予告・・・「つながっている感」がマーケティングの基礎

2,3日中にアップします。


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阪本啓一先生との出逢いから(2)
「つながっている感」がマーケティングの基礎 Vol.1
                   [4:現代編]

●「つながっている感」がマーケティングの基礎

1.すべてが分断している。

mr

ホームページは閉じてしまったが、2003年4月から、メールマガジンを発行しはじめた。私は、マーケティング発想の源は「あらゆる現象、森羅万象はすべてつながっている」という感性が基礎だと考えている。これを私は、「つながっている感」とか、「情報源不差別主義」などと呼んでおり、メールマガジンで自分の体験した出来事を題材にしながら述べている。

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 世の中には、何でも物事を分断して捉える人が多い。

 例えば、私の高校時代のクラスメートは、「経営者に歴史の勉強は必要ない」と言った。私が文学部史学科を志望していると言ったら、「お勉強が好きだね~」と言った。
 また例えば、ある経営者は部下が漫画を読んでいるのを見て、その部下を解雇した。その漫画から何をどう学んだのかを聞く前に、漫画を読んでいたという一事を以て解雇した。
 また例えば、ある著名なコンサルタントは、「経営者に礼儀や哲学は必要ない。必要なのは稼ぐ力だ。飛ぶ鳥を落とす勢いの俺には女が4人もいる。君もそうなりたいだろ?」と言った。
 また例えば、ある経営者は、「私はビジネス書しか読まない。経営者に文学は不要」と言った。
 また例えば、最近セレブとして有名な整形外科の女医は、自分が飼っているミニチュアダックスフンドを「この子は30万円」と購入価格で紹介していた。
 また例えば、ある交流会で出会った情報起業家は、よそ見して片手でこちらの名刺を受けとっておきながら、ぬけぬけと30分後にまた名刺交換しに現れた。私が、極力笑顔で、「先ほど、お名刺頂きましたけど・・・」と言うと、ヘラヘラ笑って消えていった。


 こんな例は、枚挙に暇がない。

 私は特別なスキルもなく、学歴も人並み、経営者としての資質など恥ずかしいほど、ない。今まで、人目を引くようなヒーロイックなことを何ひとつ成し遂げたことがない。他人より少しばかり歴史が好きで、誰も泣かないようなドタバタなアクション映画でもひそかに目を潤ませるくらいが目立った特徴といえば特徴だ(笑)。ちなみに、「アルマゲドン」でも、「ダイハード」でも、ちょっと泣いた。

 ただ、昔から、「あれとこれはつながっているんじゃないか」とか、「この現象はあの現象の縮図だな」などと考える癖みたいなものがあった。鍵っ子・一人っ子ならではの夢想癖のたまものだと思う。勉強も嫌いだったので、テレビと歴史小説ばっかり。お陰で歴史は学び・気づきの宝庫だということを知ることができた。

 その癖はこうやって社会人として仕事をしはじめてからも続いている。だから、同じく、マーケティングの中に芸術のエッセンスを読みとったりする阪本先生の感性が、大好きだ。先生の著書を読んでいると、

 「お前さんの感性は間違っていないよ」

と言われているようで、背中を押される。



2.事業家も分断している。

mr

経営と哲学。仕事と生活。平日と休日。会社と自分。自分と家族。自社と他社。顧客と出入り業者。我が子と他人の子。男と女。私(わたくし)と公(おおやけ)・・・・・。現代人の感性のなかでは、あらゆるものが、複雑に、分断・分裂している。しかし、分断しているわりには、「儲からないのは不況のせいだ」と行政を罵ったりして、自己を擁護するときだけ、物事がつながっているというダブルスタンダードを平気で持ち出す。


 起業バブルのこの数年、その傾向がますます強くなっている。ブログが流行しだして、起業家を自称する、ただの「カオナシ」が跋扈している。

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「千と千尋に日本の組織が見える」のなかで、阪本先生は、カオナシを、「インターネットの世界に住みついている、匿名でしか自己主張できない拝金主義者」と定義されている。
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 ITでボロ儲けした若手経営者を目標にして、「セレブ万歳」を叫ぶ起業家が増えてきている。お金がすべての基準になりはじめている。

 ひと昔前は、事業家(商売人)が「社会全体のモラルの監視者」の役割を背負っていた。今では、その機能がまったく働いていない。
 政治家から、公務員、教師、経営者、サラリーマン、主婦、学生、子どもにいたるまで、まるで原始時代のような、「倫理感覚の幼稚化・痴呆化」が進んでいる。


 数ヶ月前、この「英雄ブランディング」が世に受け容れられるか試そうと思って、出版企画書を書いて、何人かの出版エージェントに託したことがある。そのうちの一人からこんなコメントがメールで返ってきた。

歴史偉人ではなくて、スーパーサラリーマンを題材にしたら売れると思います。

 「やっぱり、いまはセレブとか金持ちに関係するものが当たるんだなぁ」と内心ガッカリしたが、取りあえず、返事を出した。

「私にはスーパーサラリーマンに関する知識があまりありません。スーパーサラリーマンって、どういう定義ですか?」

 そしたら、こんな文面のメールが来た。

スーパーサラリーマンとは、「タワー投資顧問」の清原達郎氏のような、会社員でありながら1年で100億も稼ぐような人のことです。えっ、知らないんですか?


 この人と面識はない。メールでやりとりするだけの間柄である。

 「そんなことも知らないの?」

 長年の親友でも、メールではこんな表現はしない。

 こういう拙い言葉文化・礼節感覚しか持っていない人が情報起業家の出版支援をしている。言葉というものに精通していなくてはならない出版関係者なのである。そして、毎月たくさんの本が出ている。情報起業家を自称する人が雲霞のごとく生まれ出ている。しかし、その裏でそれ以上の起業家が廃業している。そのことはあまり知られていない。


 起業家どころか、起業家を助ける役割を担っている会計事務所がどんどん潰れている。このわずか5年で、1858件の会計事務所が淘汰されている。全体の5.5%である。もちろん、なかには、大きな税理士法人や監査法人に吸収された事務所もあるが、その大半は、後継者不在か顧客喪失による「店じまい」である。

 このように、経営を指導する側が経営に失敗している。

 「現代は起業家全盛期!」「起業してセレブに!」というのは表面の薄皮でしかない。

 その本質は、「起業したものの会計が分からない。人が集まらない。商品が売れない。お金を借りられない。協力者がどんどん離れていく」といった嘆きのオンパレードである。



次回予告:2,3日中に掲載します。

>> 3.「成功」という概念も分断している。
>> 4.「ほんもの」のビジネスは分断しない。

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阪本啓一先生との出逢いから(3)
「つながっている感」がマーケティングの基礎 Vol.2
                   [4:現代編]

3.成功という概念も分断している。

mr

果たして、成功って何だろう?

本を出すこと? お金を儲けること?

礼節も忘れて?

他人を馬鹿にして?

先人が築いてきたものを顧みず?

次世代に何か大切なものを遺そうという気概も忘れて?

ただ自分のポケットに億単位のお金が転がり込んでくること?

それが成功?

自分の人生は誰の役に立った?

100年後に自分が築き上げた価値が継承されていることのほうが嬉しくない?

それは死んだ後の話だから興味がない?



 そりゃ、お金はあったほうが良いし、志が高ければ高いほど、お金を稼ぐことに一所懸命にならないといけない。ノブレス・オブリージュ(Nobless Oblige)という言葉がある。「高貴な義務感」という意味だ。「金や地位があるなら社会に還元しろ! 社会奉仕したいなら稼げ、えらくなれ!」ということだ。ドラマ「躍る大捜査線」でも、主人公・青島刑事(織田裕二)に、先輩の和久刑事(いかりや長介)が言っていた。「正しいことをしたければ偉くなれ!」


しかし、金をつかむため、偉くなるために、他は犠牲にしても良いの?

セレブになることって、大切なことを犠牲にしなくちゃいけないほどの急務なの?

自分がセレブにならないと、誰かが困るのか?




 ゆったり、たおやかに、大切なことを忘れず、大事なことを犠牲にせず、すべての現象が複雑につながっていることを実感しながら、価値を作り上げていって、その結果、お金が入ってくるものじゃないのか?

 人間として大切なことを忘れて脇目もふらずやらなくてはならないほど、Businessは忙しいものなのか?


 ここで、阪本先生の言葉を引用したい。


sakamoto-10 「ビジネス」(business)は、「busy」(ビジー)を語源とします。ビジー、すなわち忙しいことと「スロー」という形容詞とは本来相容れないものと捉えられがちです。あたかも「黒い白鳥」のように。しかし、本書でいう「スロー」は、速度が速い、遅い、という場合のスローではなく、「ほんもの」という意味で使っています。ほら、最近よく耳にしますよね。スロー・フードやスロー・ライフといった言葉。これらと同じ使い方をしています。「ビジネス」を日本語にすると、「商い」です。古来、「商いは牛のよだれのごとし」と言われ、いつまでも細く、長く、途切れることなく続くことが善し、とされました。花火のようにドーンと派手なヒットを出しても、数年後消えてしまったら、それは本当の意味での商いとは言えません。

阪本啓一 「スロービジネス宣言!」(日経ビジネス文庫) まえがき




4.「ほんもの」のビジネスは分断しない。

mr

船着き場で紙テープのお別れをしたことがあるだろうか?

フェリーから紙テープが投げられ、桟橋にいる人はそれを握りしめる。
何十本という色とりどりの紙テープが、甲板と桟橋の人と人をつないでいる。
フェリーのエンジン音でお互いの声は聞こえない。その紙テープだけが、思いをつないでいる。そんな紙テープは、フェリーの速度があがると、徐々に伸びていく。
そして最後にはプツンと切れて、海面に落ちてしまう。


 阪本先生のおっしゃる「スロービジネス」を、私はこの紙テープのイメージで頭に焼き付けている。


 現代の「金儲け主義ビジネス」は、いかにもそっけない。
 紙テープで人と人をつなぐ感覚はどこにもない。

 何の余韻も感動もなく、「富」という名の港を目指して海面をすべるハイテク制御の高速艇のイメージだ。船と陸地をつなぐ手段はインターネット。紙テープが手に触れる生な感覚とは無縁の、無機質な情報の行ったり来たり。


 マーケティングって、そんな無機質な情報の体系なのだろうか。

 スロービジネスとは、にぎりしめた紙テープがいつまでも切れないように、ゆったり進むことを前提としている。

 マーケティングの役割は、人と人とを結ぶ紙テープを太くし、さらに増やしていくことである。そして、その紙テープを通る、メッセージや情報を読みとる仕事だ。

 企業が発信するメッセージ、ユーザーや生活者が発信するメッセージ。その伝達媒体である紙テープが切れないように、ゆったりと船を進めながら、紙テープの強度に応じて、船のスピードを遅くしたり、速めていく。それが、マーケティングであり、マネジメントの感覚だ。

 ちょっと儲かったからと、豪遊したり、自社ビルを建てたりする社長は、この紙テープの感覚を持っていない人だ。もしくは、持っていたのに忘れたのだろう。
 会計はこの紙テープ感覚を確かめるための一つの自律機能である。だから、マーケティングはリスクマネジメント、ことに、会計の感覚と密接に関わっている。


 紙テープの向こう側を握っているお客さんがいまどんな感情を抱いているか、またそのお客さんの群れがどんな共通感情を抱いているか。そういったことを紙テープのしなり具合・張り具合から感じ取ることが経営者・マーケティング担当者の感性として不可欠だと思う。




次回予告:2,3日中に掲載します。

>> 5.つながっている感は、知性・感性・身体性に宿る。
>> 6.つながっている感を広める、そして深める。
>> 7.「森羅万象はつながっている」



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阪本啓一先生との出逢いから(4)
「つながっている感」がマーケティングの基礎 Vol.3
                   [4:現代編]

5.つながっている感は、知性・感性・身体性に宿る。

mr

経営者をはじめマーケティングの実行者は、紙テープの両端をにぎる人の「知性・感性・身体性」に精通していないといけない。

ここでいう「知性」「感性」とは、言葉を使う能力のことである。何も特殊な知識がたくさんあるということではない。面識のない相手に「そんなことも知らないの?」と揶揄するような感覚は、知的ではないし、人の感性というものに鈍感だ。

 この「言葉を使う能力」の大切さを阪本先生も強調なさっている。くだんの「カオナシ」の例もその一つだ。

 インターネットコミュニケーションが発達したここ数年、言葉を使う能力を持たない人がとても増えた。というのも、インターネット以前は、人に考えを伝える手段は手紙とかFAXだった。コンピュータはすでにあるが、基本的には、紙面(もしくは紙面を想定したパソコン画面)に「書かれた文章」で、コミュニケーションを取っていた。言葉を大切にしない人は、そもそも手紙など書かなかったし、書き言葉の訓練からは遠ざかっていた。
 しかし、メール、メルマガ、ブログといったインターネットツールが一般化すると、手紙を書かなかった人でも、文章のコミュニケーションを取るようになる。その代表例が、2ちゃんねるなどでよく見られる、記号を組み合わせた文字であったり、半角カタカナ文字であったり、漢字の当て字だ。当て字など、一昔前は、暴走族の落書きにしか見られなかったが、今では、会社と家庭に、パソコンがあるところならどこにでも、広がっている。結果、言葉の知性・感性を持たない人が急激に増えたような錯覚を覚えるのだ。


 そして、「身体性」。
 阪本先生は徹底した現場主義だそうだ。体を動かして、実際に自分の目で見て、視座を高くしたり、低くしたり、視野を広げたり、狭めたりしながら、観察されるそうだ。手足を動かす匠(職人)の経験知や、ミュージシャン矢沢永吉の作品づくりに対する取り組みかたから、マーケターに必須の身体性を感じ取るとおっしゃっている。
マーケティングを学問体系としてではなく、日常の生活習慣に取り込んで理解なさっている。だから、どの著書を読んでも、「知識の押し売り感」がない。楽しく、ワクワク、ページをめくることができる。それは、阪本先生自身が体を動かすことを重んじていることの証しである。


 阪本先生の身体性を証明する、こんなエピソードもある。


 先日、阪本先生とレストランでお話をしていた。その経緯は後述するが、とにかく、ビールとチョリソで、会話していた。ふと、目線を上げると、巨大なスズメバチが二人の間を飛んでいる。「ふぃぃぃぃぃぃ~ん」と不気味な羽音を立てている。すると、そいつが顔に向かって来そうな気配を見せた。私は逃げようとして、とっさにイスを引いた。しかし、イスの脚が地面にひっかかって引けない。まるで、ふざけている小学生みたいに、そのまま後ろにひっくり返ってしまった。すると、阪本先生がササッと素早く席を立ち、左目ではスズメバチの動きを察知しながら、右目で私の顔を確認し、右手ですかさず私の後頭部を包んでくれた。その間、1秒もない。まさに刹那のできごとだ。お陰で、私は地面に後頭部を打ち付けずに済んだ。

 あの時の先生の動きを頭の中で何度反芻しても、真似ができない。まるで、「マトリックス」のキアヌ・リーブスのような動きだった(いや、大袈裟に言っているのではなく・・・)。もしあれが逆の立場だったら、私は、後頭部を打ち付けてうずくまる阪本先生を見ながら呆然としていたかも知れない。(もっとも、阪本先生なら最初からひっくり返るようなドジはなさらないだろうが。笑)


 言葉を駆使する「知性」「感性」(語学ができるとか、言語学に詳しいという意味ではない)。
 そして、実際に体を動かして何ごとかを察知、体得する「身体性」

 この「陸地感覚」ともいうべき三要素が、「つながっている感」の中身だと思う。



6.つながっている感を広める、そして深める。


mr
マーケティングは「森羅万象がすべてつながっている感覚」を土台にして実践すべきテーマだ。

阪本先生はその著書の至るところで、「ビジネスマンは文学や芸術にも触れよ!」とおっしゃっている。

 確かに、文学や芸術に触れずとも、例えば、いまのセレブたちを見れば分かるように、「富」という名の港にたどり着くことはできるだろう。ただ、それだけだ。感謝や尊敬といった有機的な暖かい感情とは無縁の一生を終えるだけのことだ。

 その証拠に、セレブ紹介番組や有名なIT社長のニュースなどを観ていると、まるで「珍しい動物」を扱っているようなニュアンスをその番組に感じることがある。私だけだろうか?
あれは番組製作者の意図なのか、それとも世間の本音が番組づくりに反映したものなのか定かではないが、「小馬鹿にした雰囲気」を感じるのだ。まともな感覚を持ったセレブなら、自分の出演した番組を観て、「ん? なんか馬鹿にされているな~」と感じるに違いない。どこか、「尊敬」とは真逆の「面白がっている雰囲気」が確かにある。もしかしたら、それは、「ねたみ」が変質したものなのかも知れない。

 いずれにしても、間というものは本能的に、「富だけを追求する人に尊敬の念を抱けない」ものである。

 それは歴史が見事に証明してくれている。



7.「森羅万象はつながっている」。



mrそのことを、和宗総本山・四天王寺の管長、瀧藤尊教氏も言っていた。(ちなみに、瀧藤先生は、私が高校在学当時の理事長であった)

「人と人との和、人とものとの和、ものとものとの和を大切にせよ」、と。
物事を見わたす水平視野を身につけよ、と。

 私は、これにつけ足したい。

 この3つの和をワンセットとする大きな円盤があるとする。
 この円盤が、あたかもジュークボックスのレコードのように、過去・現在・未来の3時代をスライドすると考えてみる。

 そうすると、「つながっている感」がより深まる。

 歴史に淘汰されることなく、創業者の死後も、何十年と命脈を保ち続ける企業がある。なかには、数百年の老舗ブランドもある。

 そのような組織では、「水平視野」を重んじている。つながっている感が広い。それと同時に、歴史そのものを見わたす「垂直視野」も忘れない。つながっている感が広く、そして、深い。

 マーケティングと歴史を「つなげ」て学ぶ意味は、そこにあるのだ。



次回予告:掲載日は未定ですが、「阪本啓一先生との初対面」について掲載予定です。


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